白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

先人貶める支那の「官製デモ」断固破砕を

5日、APAホテル(東京都)の客室に南京事件を否定する書籍を設置したとして
在日支那人グループらが「反APAホテル」を掲げて東京都内でデモ行進を行った。
これに対して、保守派系グループやウイグルチベット人らがカウンターを展開
支那におけるウイグルチベット人への弾圧などを例に上げながら
「APAホテルを守れ」「天安門事件を忘れるな」などと訴えた。


ある支那人ウイグル人活動家らは主催者が支那でデモ参加者を募る文面を上げ
「これは官製デモだ」と断じ、中国共産党へ批判を強めている。
実際、中共はAPAホテルへの宿泊を禁じる措置を取っており
デモは支那大使館と相談の上決定したようである。



ところで、支那といえば、不肖私も他人事とは言えない側面がある。
私の祖父は、支那事変の時にはまさに帝国陸軍として従軍したためである。
所属していたのは、第二師団歩兵第四連隊。
支那大陸を転戦し、その勇名は世界中に轟いた部隊である。
不幸中の幸いか、祖父は支那事変で負傷し、その後の激戦には送られなかったが
実は偶然にも先日、その第四連隊の兵舎を訪ねたのである。
第四連隊の兵舎は現在、仙台市歴史民俗資料館として一般開放されている。
その中には「四連隊コーナー」があり、当時の兵営生活を偲ぶことができる。


その歩兵第四連隊もまた、ガダルカナルにて大打撃を受けるわけだが
投入された2458人のうち実に1906人もの戦死者が出たという。
昭和18年7月6日付け河北新報に掲載された「弔魂の詞」をご紹介する。
何分、戦時中のもので印刷部分が擦れて読みづらいところがあったが。

此に南方方面ニ挺身敢闘遂ニ護国ノ英霊トナラレタル郷土出身忠烈ノ戦没諸勇士ヲ公表スルニ際シ
謹ミテ郷土各位ト共ニ深ク敬弔ノ誠ヲ捧クルモノテアリマス
是等勇士各位ハ大本営累次ノ発表ニアリマス如ク大東亜緒戦ニ於テ疾風迅雷偉功ヲ奏シ矛ヲ収ムル邊ナク
昨秋來南東太平洋方面ヘ進攻シ全軍總前衛タルノ責任ヲ負ヒ●●ノ地櫛風沐ニ耐へ
人跡未踏ノ密林ヲ踏破シ熾烈ナル敵ノ砲撃爆撃ノ下有ユル困難を冒シ上下相信シ堅忍死力ヲ●シ克ク
東北健児ノ真面目ヲ発揮シ大和魂ヲ如実ニ示シテ敵米軍ヲ戦慄●伏セシメ遂ニ其ノ反攻ヲ挫折セシメテ
我総軍ノ作戦ヲ極メテ有利ニ導キ其ノ任ヲ完フセラレタノデアリマス
此ノ孤島在陣ノ一日
聖上伊勢ノ神宮御親拝御祈願ノ御事ヲ拝聴スルヤ勇士一同熱涙ヲ以テ愈々塊ノ御楯タルノ
誓ヲ新ニシ唯々 勅諭ヲ畏ミ勇戦セラレタノテアリマス
其ノ敢闘ノ状ハ壮烈鬼神ヲ哭カシメ眞ニ皇軍精神ノ権化トモ申スへク事
天聴ニ達シ該方面集団ニ対シ辱クモ優渥ナル 勅語ヲ賜ハリマシタ
趣ヲ漏レ承リ眞スルハ畏キ極ミテアリマス誠ニ英霊各位ノ御名誉ハ素ヨリ
御遺族及郷土ノ方々ト共ニ感激措ク能ハサル次第テアリマシテ其ノ偉烈ハ
永ク逭史ニ留マリ英魂ハ尚モ皇軍ノ先鋒トナリ米濠ノ地ニ進襲セラルルコトヲ信スルノテアリマス
『御民われ』等ハ此ノ幾多郷士将士ノ壮烈ナル陣没ニ際会シ湧謐スル義憤ヲ以テ
英霊不滅ノ忠誠勇武ヲ継承シ官民一体『撃ちてし止まむ』決意ヲ新ニシ内戦力ヲ充実シ
外悉ク敵ノ巣窟ヲ刎抉シ必勝ノ一途ニ邁進致シマシテ
上叡慮ヲ安ンシ奉ルト共ニ殉国ノ英霊ニ応ヘンコトヲ誓フモノテアリマス
終リニ臨ミ切ニ名誉ノ御遺族各位ノ御安泰ヲ祈ル次第テアリマス
仙台師団長
陸軍中将
寺倉 正三

口語訳
ここに南方方面で一生懸命戦い、戦死された地元出身の皆様をご紹介するにあたり
謹んで地元の皆様と一緒に弔いの心を捧げたいと思います。
ここに紹介する皆様は、大本営が何度も発表してきたように
大東亜戦争のそれぞれの戦いで、武器をしまうヒマもないほど速く行動し
大きな功績を上げました。
昨年の秋には、南東太平洋方面に進出し、全員が先頭に立つという責任を負い
状態の悪い地面や、風雨にも耐え、人が入ったことのないような密林を踏み越え
激しい敵の砲爆撃の下、互いに信じ合ってあらゆる困難を克服し
東北の若者らしさを発揮、大和魂をここに示して
アメリカ軍を恐れさせ、ついにその反撃を撃退し
わが軍の作戦を有利に導きました。
孤島で一日を過ごした際、天皇陛下伊勢神宮を参拝され
戦勝をご祈願されたと知るや、一同は感激の涙とともに
天皇陛下の楯となるべく誓いを新たにし、軍人勅諭に従って勇戦したのです。
その戦いの様子は鬼神ですら感動させるほどで、皇軍の精神の見本というべきことが
天皇陛下のお耳に入り、その軍集団勅語を賜りました。
それは、畏れ多いことですし、英霊に名誉であることはもちろん
ご遺族や地元の皆様とともに、感激する気持ちを抑えることができません。
その功績は長く歴史に留められるでしょう。そして英霊の霊魂は今でも
わが軍とともにアメリカやオーストラリアの地へ進撃していることであろうと信じております。
私たちは、あまたの地元の将兵の陣没に際して、大きな怒りをもって
英霊の皆様が残してくれた忠誠と武勇を継承し、官民一体となって
『撃ちてし止まむ』の決意を新たにし、戦力を充実させ
敵の陣地をフルボッコにして、必勝の道を進み
天皇陛下の大御心を安んじ奉るとともに、国に殉じてくださった英霊に応えることを
誓うものであります。
終わりに、ご遺族の皆様のご安泰をお祈りいたします。
仙台師団長
陸軍中将
寺倉 正三


第2師団は日清・日露の戦争でその武名を轟かせ
当時の師団長・多門二郎中将は通りの名前になるほど(現在の南町通りは旧多門通り)
であった。その先人を貶すことは我々にとって耐え難いことであることはもちろん
その精神を受け継いでいかなければならないのである。
それは戦争を望むということではなしに
故郷を守ろうという断固たる決意である。
その決意は今後も変わらないし、支那が大騒ぎすればするほど、尚強くさせるものだと
いうことを彼らは思い知ることになるであろう。