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在特会会長代行就任に関する所感

12月1日、在日特権を許さない市民の会在特会)の執行部人事が発令され
本サイトの主筆である菊地内記が会長代行に就任した。
若輩者が諸先輩方を差し置いて、より責任のある立場に引き上げていただいたことは
実に恐縮するばかりでなく、在特会に改革に向けた取り組みを加速させていきたいと
身が引き締まる次第である。
現在の在特会を取り巻く環境は、2年前に八木康洋会長の新体制がスタートしてから
街頭活動ではなく、水面下の政治家などへの働き掛けにシフト。
そのため内外より「てぬるい」とお叱りを頂戴することがあり
何とかそういう声に応えたいと思っていたのである。
が、一方で在特会といえばそれこそ「悪の権化」ようなイメージを持つ方も
少なくなく、これといった実績はないのに悪名だけは高まっていく一方であった。
今期がスタートし、まずはかつてのにぎわいを取り戻すことから始めることが
課題といえる。
数年前の在特会は、資金力が多少はあったため
大規模な運動を展開することが可能であった。
例えば集会を行う場合の会場費や、道路使用許可の証紙費用も出すことができた。
今やその大部分は手弁当である。さすがに続けられない、というのが会員の本音であろう。
まずは往時の活動実績を取り戻し、サステナブル可能な運営を行うことが我々に課された使命である。
具体的には執行部で決定していくことになろうが、私の目標はそれに尽きる。
少なくとも、これ以上会員の皆様の負担を強いることには大きな心苦しさを感じるし
それを軽減できるよう、微力を尽くしてさまざまな施策を試みるつもりだ。
イデアがある方は何の気兼ねなく、ご披瀝賜りたい。


といっても、もちろん単純に大騒ぎすればいいというわけではない。
前会長時代は、ある意味で目立つことが最重要という認識があった。
「我々は既存の保守団体ができないことをやっている」と
今でもその自負はあるが、それを勝手に解釈して「何をしてもいい」と
思い込んだ人が出てきたこともまた事実である。
すなわち、「朝鮮人なら何をしても良い」「在日なんていなくなればいい」といった具合だ。
私が支部長を務める宮城支部は、設立以来穏健路線を採用するという柱を堅持してきたため
活動内容に何ら恥じるものはない。
が、何でもかんでも在日認定し、それをほぼ無差別に攻撃する存在が出てきたことは反省しなければならない。
はっきり申し上げる。そういった輩は会から出ていっていただくし
今後共闘することにも反対する。
我々はあくまで入管特例法をはじめとする在日特権の廃止を目的としているのであって
朝鮮人支那人を無分別に攻撃する団体ではなかったはずである。
それが我慢できない人々は今すぐ退会の手続きをお願いする。


一方、いわゆるヘイトスピーチというものに関しては
表現の自由を最大限に擁護する立場から、一方的な定義づけに反対する。
もし、今後の我々による言論活動がヘイトスピーチであるとするならば
不敬罪も復活されるべきだし、「日本死ね」もまた日本国民に対するヘイトスピーチであると
認めるべきである。しかし、そうしていくとさまざまな言論が統制されるのは火を見るより明らかだ。
ゆえに、いわゆるヘイトスピーチに関して処罰を設けることには断固反対する。


私の行動の指針は、私淑する晏子が元になっている。
晏子は本名を晏嬰といい、春秋戦国時代の斉の政治家である。
彼は派閥をつくらず、誰にでも腰を低く接し、いかに粗暴な君主でも諌めることを止めなかった。
広く賢人と交わり、庶民のために尽くしたため、下々からは大きく慕われ
晏子薨去する時には、君主である景公が「これからは誰が私を諌めてくれるのだ」と大いに悲しんだ。
かの有名な歴史家の司馬遷が「晏子の御者になりたい」と評するほどの名宰相なのである。
何か行動に迷った時(晏子ならどうしたであろうか)と考え、現在に至っている。
実は私は支那の歴史が大好きであり、そこから人生哲学を学ぶことが多い。
在特会の中でもあなたは変わっていますね」とよく言われる。
恐らく他人とは違う道の選び方をしているためであろうと、内心苦笑している。
まだまだ経験も浅い未熟者である。ぜひ、大勢の方のご指導を賜りたい。