白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

ソ連対日侵略の犠牲者に思いを馳せよう

8月9日は、長崎に原爆が投下された日である。
祈念式典が行われ、安倍晋三首相をはじめ53の国や地域、国際機関の
代表者らが集い、犠牲者の冥福を祈った。


さて、その原爆投下の日はもちろんだが
われわれが忘れてはならないことがもう一つ
この日には起こっている。
何を隠そう、ソ連の対日参戦である。
わが国とソ連は中立条約を結んでおり、さらにはその破棄にあたっても
なお1年間は有効であったはずなのに、ソ連はドイツ降伏後、返す刀でわが国に牙を向いたのである。
ソ連赤軍満州国や朝鮮北部、樺太南部と千島列島に侵攻した。その兵力はおよそ150万に上る。
我が帝国陸海軍は兵力こそ100万を数えたが、南方作戦への引き抜きで武器弾薬が不足状態にあった。
そのような状況下で卑劣な不意打ちにもかかわらず、各地で奮闘。
天然の要害にこもり、赤軍を足止めし、邦人の退避の時間を稼いだ。
悲劇であったのは居留民である。満州の広大な原野を開拓するべく、内地から移住した
満蒙開拓団満州国の僻地に散在していたから、軍隊の保護が追いつかず
戦闘に巻き込まれたり、中には赤軍に捕縛されることを潔しとせず、集団自決の道を選ぶ開拓団もあった。
また仮に赤軍に投降しても、シベリアに抑留され、苦しい生活を余儀なくされる人も多かった。
樺太では真岡郵便電信局事件や避難船を赤軍が撃沈する三船殉難事件などが発生し、未来ある若者が次々と命を落とした。


本日報でもたびたび言及しているとおり、苦戦を余儀なくされていたなかで
終始優勢に戦局を展開していたのが、北千島の占守島である。
北千島では、アリューシャン列島への備えとして、第91師団兵力およそ2万、戦車第11連隊や
航空隊なども置かれており、そのうち第73旅団およそ8000人が占守島の守備についた。
実際、占守島で戦闘が始まったのはポツダム宣言受諾後の18日からである。
この時、同島では武装解除を行うため、武器弾薬の破棄を行っていた。
そこへ突然、艦砲射撃とともに赤軍およそ9000人が上陸、激しい戦闘となった。
師団司令部は武装解除を中止し「断固撃滅すべし」と反撃命令を通達
ここに我が帝国陸海軍は、最後の大暴れを行うのである。
赤軍は、北海道の割譲を米国に要求していたが、トルーマン大統領は拒絶。
そこで既成事実をつくってしまおうと、北海道への上陸作戦を企図していたことが
明らかとなっている。だが、島嶼戦において思いも寄らなかった帝国陸海軍の奮闘により
赤軍の進撃のスピードは鈍り、結局北海道は無事終戦を迎えた。


戦後、シベリアに抑留された人々の数は実に60万人といわれており
その1割が寒さと飢え、そして強制労働により命を落としたという。
かかる卑劣で非人道的行為は断じて忘れられるべきではない。
宮城県内で、満蒙開拓団の慰霊碑は、松島町と大崎市(旧松山町)の2カ所。

愛国顕彰ホームページより
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-manmou-a02.htm