白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

なぜ共産党は公安の「調査対象団体」なのか

政府は22日、日本共産党志位和夫委員長)が未だに公安調査庁による破壊活動防止法に基づく「調査対象団体」
であることを閣議決定した。鈴木貴子衆議院議員の質問への答弁書を作成した。
答弁書の中では、共産党はいわゆる「敵の出方論」を捨てておらず「暴力革命の方針に変更はない」と
認識しているという。
同党は「何の根拠をもって公党に対する不当な調査を続けているのか」と反発した。
読者諸氏の中には「共産党がヤバい政党くらいしかわからん」と思われる方も
おられるであろう。
敵の出方論」とは、即ち「(革命に武力を用いるかどうかは)敵の出方による」というもので
1950年代に共産党が事実上の武装闘争路線を放棄してから、堅持しているとされる路線である。
実はこの路線は共産党どころか、左派全体の歴史を表しているのだ。


そもそも、なぜ共産党新左翼と対立関係にあるのか。古くは戦後直後まで遡る。
昭和20年(1945)にわが国は終戦を迎え、そのおかげで共産党は合法政党となった。
ところが、昭和25年(1950)朝鮮戦争が始まると、ソ連は全世界の共産党に向けて
北朝鮮を支援するよう呼び掛けた。
日本共産党は、野坂参三徳田球一などがこれに反対したが、宮本顕治といった国際派は
朝鮮総連と結託し、全学連全日本学生自治会総連合)をけしかけて
さまざまな暴力事件を引き起こした。特に「血のメーデー事件」などは多くの負傷者を出しただけでなく
社会情勢の混乱も誘発しかねず、その時に共産党朝鮮総連破防法に基づく調査対象団体となった。
昭和30年(1955)に共産党は第六回全国協議会において「敵の出方論」への方針を転換したが、ソ連もフルシチョフの指導のもと
平和共存路線をとり、世界の左派は世界同時革命理論を続々と放棄し始めた。
そんな中、全学連内部では共産党の指導に従う「代々木派」とあくまで武装闘争路線にこだわる「反代々木派」とに分裂した。
あえて分けるとするならば、以下の通りである。


共産党系(代々木派)
・民青
・全国自治会共闘


○反共産党系(反代々木派)
マルクス主義学生同盟(マル学同)
革マル派
中核派
→第4インター


社会主義学生同盟社学同
  

社会主義青年同盟社青同
革労協狭間派
革労協滝口派
革労協赤砦社派


共産主義者同盟(ブント)
戦旗派
→全国委員会派
→ML派
赤軍派連合赤軍日本赤軍


誤解のないように言及しておくが、おおまかな分類であって
時系列は気にしないでいただきたい。
また、アナキズムノンセクトは除外した。


以上のようにさまざまな組織に分裂し、70年安保闘争まで血みどろの戦いを
繰り広げることになるのだが、この当時シナでは文化大革命の嵐が吹き荒れていた。
当時、警視庁警備一課長だった佐々淳行氏は、文革の「造反有理(権力に反対することには理由があるので、正しい)」
の機運が学生運動に影響を与えたと著書に書いている。
現在の学生運動がなぜ国会前でデモをしたがるのか…なんとなくわかってきたのではないだろうか。
代々木派は新左翼のことを「冒険主義」と批判し
反代々木派は日本共産党のことを「日和見主義」と批判していた。
このような歴史をたどってきたため、共産党系団体と新左翼系団体が
共闘することはあり得ない…と表面上は見られていた。
最近は、新左翼系が党勢拡大好機到来とばかりに、さりげなく共産党のデモに参加していたりする。
が、例えば中核派共産党と合流することはまずあり得ない。
新左翼の歴史は実に半世紀以上。今やその歴史の重みが負担になっているのが左派の現状なのである。