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日ユ友好の懸け橋となるか、「杉原千畝」

ようやく映画「杉原千畝」を見てきた。
これもかなり有名な物語なので、皆知っているやろうなと思っていたら
先日映画館で「海難1890」の上映時間を待っていた時
40代くらいの女性2人組が「杉原千畝って誰?」と言っていた。
ネットでもテレビでもよく放送していたんだが、あまり知られていないということは
歴史に興味がないと知らないってことなんだろう。


さて、杉原千畝とは何者であったのか。いろいろと評価は分かれるが
ロシア通の人材を育成するハルビン学院で学び
満州国で奉職。外交官として対ソ情報戦を繰り広げ
北満鉄道の譲渡でソ連に一泡吹かせたことで名を上げた。
その後、リトアニアの領事代理としてカウナスに赴任。
独ソの状況を探っていたが、両国によるポーランド分割後
日本を頼ってビザの発給を求めていたユダヤ難民の姿を見て一念発起
日本の通過ビザを発給し続けたことで知られる。
このビザは「命のビザ」と呼ばれ、およそ2000通のビザを発給
ビザは家族全員に適用されたため、最終的に6000人が命を救われたという。
リトアニアソ連に併合された後、領事館は閉鎖され、杉原一家はドイツ、ルーマニアに在住し
最終的にはソ連に拘束されていたが、終戦に伴って帰国。
外務省を依願退職し、貿易会社に務めていたところ
命を助けられ、戦後にイスラエルの外交官として活躍していたニシェリ
杉原と再会。イスラエル政府は外国人でありながらユダヤ人に尽くしてくれた人を
対象とする「諸国民の中の正義の人賞」を授与した。


さて、なぜユダヤ難民が日本を頼ったか。
彼らが(名目上)目的地としていたのは、オランダが唯一受け入れを表明していた
中南米キュラソー島。そこへ行くためにはソ連を通過するしかない。
だが、ソ連は「日本の通過ビザがなければソ連もビザを発行しない」としていたため
必然的に日本領事館に集まったのであった。
一方、日本は日本で同盟国ドイツの建前もあり、受け入れに難色を示している。
実際、杉原の問い合わせに帝国外務省は「目的地、渡航費用、滞在費用を持たない難民の
受け入れはしないように」と回答している。
とはいえ、帝国政府は対外的に人種平等を謳っていた手前、むげにすることもできなかった。
ユダヤ人を積極的に受け入れ、シナの地にユダヤ人の自治区をつくってはどうかという
構想もあったほどである(河豚計画)。
なぜユダヤ人がそこまで差別の的になっていたかといえば
ユダヤ教の一部が他宗教を排撃し、独善的な部分があったことと
現在でも言われているとおり、欧米の経済界を牛耳っているとみられていたからである。
例えばロスチャイルド家、ゴールドシュミット家などである。
帝国政府はそんなユダヤ資本のネットワークを利用して日露戦争のような
資金面での援助を期待してのことであった*1
そんなわけで日本にたどり着いたユダヤ人たちは、強力なコミュニティーを持っていた
上海の租界で終戦まで過ごし、ある人物はイスラエル政府の閣僚となり、ある人物は科学者として活躍した。


さて、映画の出来はというと、悪くはない。
例えばユダヤ難民を姿を見てすぐにビザ発給を決意するような安直な感じではなく
いろいろな葛藤の末、ようやく決意するといった見せ方は良かったし
唐沢寿明の英語のセリフがよくもまあ出てくるものだと感心した。
また、ユダヤ人を救ったのは杉原だけではなく、ウラジオストク領事の根井三郎であったり
JTBの大迫辰男であったりと、いわゆる「命のリレー」についても触れられている点
評価したい。
ただ、やはり日本軍や外務省が悪人のごとく描かれている点はどうも納得がいかない。
前述の「河豚計画」は安江仙弘大佐や東条英機中将(当時)らが推進したものだし
「ビザ発給の件で外務省を追われた」という点についても議論の只中である*2
そのあたりは、明言を避けたほうが良かったのでは、と思わざるを得ない。
また、ポーランド教育省はともかくとして
過激なユダヤ人団体として知られるサイモン・ローゼンタール・センターが協力に入っている点も
思想的に偏っているのでは、との疑いを強くしてしまう一因になる。
作品の出来は悪くなかっただけに、惜しいところであった。

*1:日露戦争では、ロシア帝国反ユダヤ主義に反発して、米国の銀行家ジェイコブ・シフが日本政府の多額の戦時公債を引き受けた。

*2:ビザの件が明るみになった後も昇進を重ね、勲五等にも叙されている