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なぜ中世の兵士は列をつくるのか

さて、読者諸氏の中には、映画などの中で中・近世の戦争シーンにおいて
横列を組み、敵に向かって行進していくシーンを思い浮かべる方がおられるのではないだろうか。
敵に撃たれようと大砲に吹き飛ばされようと、撃ち返すことも避けようとすることもなく
一糸乱れず行進する姿は見ていて歯がゆいものがあろう。
これは「戦列歩兵」という、当時主流であった陣形である。

プロイセン王国軍の戦列歩兵


今と違い、中・近世(17,8世紀頃)の欧州各国においては
歩兵の主な武器はマスケット銃であった。これは
先込め式の火器としてはかなり初期のもので、飛距離は良くて100メートル程度という代物だった。
そこで編み出したのが、戦列歩兵を組み一斉射撃により火力を集中させるというものである。
また兵力の集中運用が可能となり、ここからさまざまな陣形に移行することが
できるということから、とても重宝された。
さらに戦列歩兵や方陣は死角がなく、前列の兵士が倒れてもすぐ後ろの列の兵士が入るため
防備に穴が空くことがなかった。
またマスケット銃は狙いが恐ろしく悪く、映画のように一斉射撃をしてもバタバタと
斃れることは稀であったという。
そんなわけで、各国は戦列歩兵を導入し、それぞれ似たような戦を行った。


行進曲に合わせて敵に接近する

弾と火薬を詰める

狙う

撃つ
これをしばらく繰り返し
敵陣が崩れた時は銃剣でもって突撃を行う。


当時、戦争とはいえ指揮官は貴族ばかりであったから
紳士として暗黙のルールは存在した。
例えば、敵の将校は狙わないというもの。
将校は部隊の秩序を守り、軍法を守らせる。そのため将校が殺されてしまえば
誰が兵を制御するのか、というものだ。
「敵は制御されていないほうが弱そうじゃん」という意見はもっともだ。
だが、将校がいない部隊はゲリラ化するなり、治安を守らないなりして不法行為を働く。
そのために将校の存在は必要だったのである。
だが、戦列歩兵は銃の性能が劣悪であることを前提として運用されていたため
火器の発展とともに、戦列歩兵は廃れていった。
つまり戦列歩兵は良い的にしかならなくなってしまったのだ。
次に考え出されたのが、散兵である。兵を密集させないことで敵の弾を避けやすくするわけであるが
「歩兵の本領」の中でも出てくるように、現代は散兵が主流である。
もちろん、そもそも歩兵という概念が古い、という人もいる。
現代のように機械化が進み、機動戦が当たり前になると、歩兵だけでは役に立たないのである。
素早く移動し、かつ戦闘車両を用いた機甲戦がメーンといえよう。