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福島・宮城アテンドの報告

昨日の大騒ぎから一夜明けて・・・。
というより、日の出を迎えて、実はすっきり起きられた。
二日酔いとかくるかなーと思ったが、そんなこともなく。
俊傑憂憤の集いの渡邉喜楽集長と生主の竹島さんと
同じホテルだったが、2人とも朝から元気で
午前4時に就寝というのが嘘のようであった。


というわけで、本日午前は警鐘RANDA!!の桑原一真さんに
アテンドしていただき、中野不動尊に向かう。
ここは、治承3年(1179)年に恵明上人がカモシカに導かれて
中野山に入ったのがきっかけと伝わり、当初は修験の地だったが
曹洞宗に改宗し、現在に至っている。
その名残か、大日如来不動明王を祀り、滝行ができる場所が
あるなど、非常に密教性が高い場所である。

このように、安土桃山建築を思わせる豪奢な建築が
多数見受けられる。また、洞窟も掘られているが
その中には諸仏が安置されており、ローソクで照らされた
洞窟内は、まるで別世界である。


その後、飯坂温泉へ。
この飯坂温泉はそれこそバブル期には
多くの観光客で賑わった場所だが、現在は建物も古くなり
空き店舗やシャッター通りが目立つ物悲しい温泉街だ。
駅舎や共同浴場を改装して、日本家屋のような雰囲気を出そうと
しているが、それもまだ少ないため、老朽化したホテルと
空き店舗が目立ってしまう。
まちづくりの動きがどうなのか気になるところだが
実はここにこそ、地域資源が眠っていたりするものだ。


さて、その後桑原氏と別れ一路宮城県名取市閖上
名取市津波で約900人の犠牲者を出したが
閖上地区は、そのうちの600人の犠牲者を出した。
現在も津波警戒区域に指定されているため
住むことはできない。そういうこともあってか
損傷を受けた建物もいくつか残り、津波の爪痕を残す
モニュメントとして機能している。
我々が行った時、観光バスで被災地を回る「被災地ツーリズム」の
団体も多く見られ、被災地をこの目で焼き付けようという人々が
多かった。
「不謹慎な」と思うのは、それこそ東京とか内陸の人々で
被災地は人に来てもらい、津波の恐ろしさをしっかり見て学んで
そして買い物をしてもらいたいのである。
観光地化することに、何の抵抗も感じないと思えば嘘になるが
やはりそういう方法で生き残っていくことも大事なのだと
考えるほかないのだ。


そうこうしているうちに時間となったため
喜楽さん、竹島さんとはお別れだ。
靖国で会おう!」そう再会を約束して彼らは搭乗口に消えた。
多分、北海道に行くことになるんだろうけど。