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反日は「環境」か?

さて、宮城支部で会合を持っていたのだが
その中でちょっとしたやり取りがあった。
僕は在特会に所属してはいるが、朝鮮人が嫌いだというわけではない。
よく朝鮮人を擁護する人が言うように
「一部の人間の所行を全体に言い換えるな」
ということに一理あると考えていた。
だからこそ、朝鮮人個人個人に対しては宥和的に接することで
親日派を増やしたいと思っていた。
つまり、朝鮮人は元来反日というわけではなく、政府が
ご機嫌取りに反日政策をやっているだけで、一部のキチガイ
暴走しているに過ぎないのだと考えていたのである。


というのは、僕は筋金入りの「環境閾値説(いきちせつ)」論者だからだ。
これは教育学ないしは教職課程を学んだ方なら
お分かりになると思う。子どもが発達する上では遺伝と環境のどちらが重きをなすのか
という問題について遺伝と環境双方が揃ってはじめて子どもが特性を発揮できるというものである。


こういう話がある。
支那春秋戦国時代、斉の国に晏子という名宰相がいた。
彼が楚に使いをした時、暴君として有名だった楚の霊王は
宴会の席にわざと囚人を連れてこさせ「あれは何か」と尋ねた。
すると、窃盗で捕まった斉人であるという。
そこで霊王は「斉は盗人が多いのであろうか」とからかった。
すると、晏子は「斉には橘という木があります。
これが楚では枳(からたち)になり、全然違う物になるのです。
その者は斉では盗みを働かなかったのに、楚に来て盗みを働きました。
楚の土地は盗人を出しやすいのでしょう」と返したのである。
これが後に「橘化して枳と為す」ということわざになった。
実に明快で、示唆に富んだことわざである。


このように、人が成長するのは遺伝だけではなく、環境なのだと
僕は信じている。だが、その自信も最近では揺らいできているのが
実情だ。在日朝鮮人の中には当然、政治的な話には興味がなく
また韓国を批判する人もいる。
だが、あまりに韓国面に落ちている輩が多すぎるのだ。
「日韓友好のために両国は自重を」ではもはや通用しない。
「日韓友好はもはや幻想、私は親日派」とでも主張するか
政治の話は一切しない!と割り切ってしまうしかない。
しばき隊の中に朝鮮人がいて、反原発の団体に朝鮮人がいて
社民党の中に朝鮮人がいる。「一部の朝鮮人」で済む話ではないのである。
僕は確かに環境こそが人の成長には重要だと信じている。
従って、在日朝鮮人は本国の朝鮮人より親日的だと信じたい。
だが、それを崩そうとしているのが連中なのだということを考え
怒りを覚えるとともに、葛藤を続けている。