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再武装論と平和主義は成り立つ!

本日は昭和20年8月6日、広島市に対して原子爆弾が投下された日だ。
これにより、10万人以上の罪なき人々が命を奪われ
現在でも後遺症に苦しむ人々が多数存在する。
68年目を迎えた今年は、恒例となった平和記念式典が執り行われ
安倍晋三首相をはじめ、遺族や関係者ら約5万人が出席した。
また世界各国代表部からも多数が出席。約70カ国の代表が参列した。
原爆投下時刻の午前8時15分に合わせて、全員が黙とう。
続いて、松井一実市長が原爆被害者の高齢化について触れ
安倍首相も、一刻も早い原爆症の認定に尽力する旨を述べた。
一方、本日は式典会場周辺でさまざまな市民団体が
活動を行っているが、その中には極左暴力集団の姿もみられ
それに反対する市民グループと一触即発の状態になった。
広島への原爆投下は、現在まで反戦反核兵器の象徴だが
それを利用してオルグ活動を行う輩もいるので注意されたい。


さて、広島への原爆投下は明らかな戦争犯罪であり
「戦争終結を早めた」という主張はまったく意味をなさない。
これは首尾一貫して、当社が主張してきたことである。
ましてや、この出来事をなぜか帝国政府への責任に転嫁しようという
動きもあるからたちが悪い。
確かに、国土の防衛は政府の責任で行われるべきものである。
しかし、それは当然国際法に基づいた戦闘行為によるものであって
かかる戦争犯罪に対する責任は、それを行使した側に帰するのは
当然のことだ。
だが、残念なことに米国はそれに対する責任を認めず
わが国は請求権を放棄しているため、被害者への補償はわが国政府が
行っている状態だ。ところで、わが国は戦後一貫して平和を堅持し
それが世界に広がるよう活動を行ってきた。国連憲章によると
その目的は「国際の平和および治安を維持すること」とある。
平和は希求することは誰もが思うことであり、それは当然である。
だが、なぜか「戦争しないこと」の手段として「武器を持たない」と
主張する人々がいる。理屈は簡単で、銃がなければ銃殺できない
のと同じことだ。ところが、その銃がなかったばかりに戦争が起こる
例もある。逆に、銃があるおかげで戦争を回避することもできるのだ。
そしてそれを主張すると「軍国主義」「戦争したい人」と
レッテルを貼られる。平和を希求する気持ちは同じである。
現実を見るか、理想を追いかけるか。
または、バカかそうでないかの違いであろう。
「武器を放棄したところで、侵略されるではないか」という疑問に対する
答えは、まだ誰も答えられない。