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支那の大きな課題

最近、支那の動きは極めてきな臭くなってきた。
というか、元からきな臭い国ではあるんだが
今となっては地方も中央も人がいないというのが現状だろう。


実は、僕の私淑する歴史上の人物は、晏子である。
晏子支那における春秋時代の斉の宰相であるが
この人のすごいところは、誰であろうと、諌めることが
できるということである。
暴虐の君主であった荘公に対してさえ、諌めることを止めず
死罪になる寸前までいった。
この人の記録は『晏子春秋』『管晏列伝』などにまとめられていて
目から鱗のエピソードが満載である。
思えばこの時代は、晋の叔向、鄭の子産、呉の季札など
賢臣の時代であった。僕は支那の歴史においてこれ以上
人材に恵まれた時代を知らない。


さて、時代は一気に現代に戻ってくる。
僕は実は共産趣味者ということもあって、支那の現代史
特に文革期の本を読みあさっている。
最近では『周恩来秘録上・下』が文庫で出たので
さっそく読んでいる。こういうのを読むと、周恩来
今いたら日支関係はどうなったであろうか。
逆に文革期に周恩来がいなければどうなっただろうか。
などと考えている。
思えば、文革期も意外と人材は多かったように感じる。
それは共産党という狭いスキームの中での存在であったが
光り輝いた人材は確かに存在した。
例えば、劉少奇である。彼は毛沢東が盛大に失敗した
大躍進政策を修正して、鄧小平とともに国家の建て直しを行った。
残念ながらそれは功績とならず、却って毛沢東の危機感を
煽ることになったのだが。
毛沢東は、国家主席劉少奇に譲り、劉少奇に期待を込めた
演説を行ったが、一方で彼を権力の座から引きずりおろす工作を開始した。
劉少奇の側近を失脚させ、外堀を埋める一方で名指しは避けながらも
「敵は中央にいる」と含みのある演説をするなどした。
彼は有能ではあったが、しかし毛沢東の個人崇拝には勝てなかった。
文革が発動し、紅衛兵が政府要人を吊るし上げる様を見て
劉少奇は激怒した。すっかり紅衛兵にどっぷり浸かっていた
息子に対して、憲法の条文を見せ
「私は憲法に従っている。憲法を遵守するのだ」と叱った
エピソードは非常に有名である。
だが、この仕掛人毛沢東その人であったことに気づくと
さすがに自らの危機を悟り、国家主席を辞任し、療養したいと申し出た。
毛沢東は「ゆっくり休むといい」とねんごろな言葉をかけ
表面上は援護している風を装いながら、その後は本格的に攻撃を仕掛け
劉少奇と鄧小平は「走資派(資本主義者)」として党の全ての役職を
剥奪され、劉少奇は監禁、間もなく病死した。鄧小平は強制労働に従事させられた。
さてこの時、周恩来は何もしていない。もちろん、劉少奇に対して
何も恨みなどはなく、むしろ同じ海外留学組として開明的な考えを
持っており、好感を抱いていたようである。
だが、この権力闘争は周恩来の手に負えるものではなかった。
毛沢東を阻止しなかった周恩来は無能である」という説もあるが
「阻止できなかった」と見るのが正解であろう。
言ってみれば、周恩来スターリン政権におけるモロトフのような
立ち位置であった。劉少奇トロツキーブハーリンあたりだろうか。
ところで周恩来は、日本に留学したことがあった。語学の壁に阻まれ
挫折を味わったが、戦前は日本を留学先に選ぶのが支那において
ステータスだった。蒋介石陸軍士官学校に入学し、帰国後は
軍官学校を設立している。
その後、周恩来は英国に留学し、欧米流の政治手法を学んだ。
交渉事においても、双方の落としどころを見つけ、できるだけ
穏便に事を進めるのがうまかったと評価されている。
一方の毛沢東は、学が無い上に気性が荒く、独断専行を好んだ。
周恩来とは正反対であるが、周恩来は、前述のように落としどころを
見つけるのがうまく、毛沢東に対しても一歩退いた対応をした。
そのため毛沢東の面目は周恩来のおかげで保たれていたのである。
朱徳彭徳懐など歴戦の名将もいたものの、それらは文革期において
失脚するか冷遇された。元凶は毛沢東なのだが、さらに質の悪いのが
悪名高い4人組であった。
江青の悪行の数々は今更出す必要もないが、これにはさすがの毛沢東
も扱いに苦慮していたようである。
晩年には、何度も江青に苦言を呈し、時には自己批判さえさせた。
やがて打倒される4人組なのだが、これまで書いてきたように
文革というのは、毛沢東の個人的な権力闘争に過ぎない。
従って、そこには理論上の矛盾や明らかな過ちが満載されているが
僕が思うに、だからこそ「良識」な人材が光ったといえるのではなかろうか。
今、支那では政治腐敗が進み、環境が破壊され
偽りだらけの統計で国際的信用はゼロに近い。
支那に求められている人材は、合理的かつ内に強硬で外に穏健な
政治家ではないだろうか。


実は以前、石平さんに「今、周恩来劉少奇がいたら、どうですか」
と尋ねたことがある。答えは「いえ、全然だめです」と
ばっさりと切り捨てられてしまったが、支那の問題というのは
人材不足も原因なのでは、と思うのだ。