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主権回復の日に沖縄が怒るのは

本日は主権回復の日である。即ち、1952年サンフランシスコ対日講和条約により
わが国は主権国家として、再び独立を勝ち得ることができた。
ほんじゃーそれまでは違うのかというと
ポツダム宣言の第7条「新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまでの日本国領域内諸地点の占領」
に基づく連合国による間接統治状態である。
厳密にいえば、その間の日本国の主権はないではなかったが
「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為
其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官の制限の下に置かれる(隷属する)」
とバーンズ回答が示しているとおり、主権は制限されたのだと解釈するのが一般的であろう。
ところで、本日は政府主催の主権回復の日を祝う式典が催され、天皇皇后両陛下がご臨席遊ばし
全国の都道府県知事や政府関係者が出席して行われた。
同時に、沖縄県では抗議集会が開催された。
この抗議集会は、「対日講和条約の時に沖縄県は日本領土ではなかったではないか」
ということであり、確かに沖縄県の状況を鑑みれば、気の毒にも思う。
だが、国家が独立する場合、必ずしも現在の領土が含まれるとは限らないのもまた然りである。
例えば、アメリカ合衆国が独立した時、たったの13州だけであった。
その後に加入した州は、自分の州は直接関係ないものの、アメリカ合衆国が独立宣言を発表した日
つまり7月4日を独立記念日として祝っている。
さらに支那では、10月1日を中華人民共和国国慶節(国慶節)としているが
チベット、香港やマカオなどはその時領土に含まれていないのだから関係ないのだが
抗議集会をやったという話は聞いたことがない。
それでも、沖縄県に配慮しなければならない理由というのは、大規模な戦場であったためであり
大田実海軍中将の決別電にも表れているとおり
沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という
遺志を大事にしてきたからである。
従って、今でも沖縄振興開発金融公庫からは、多額の出融資が行われている。


一方、沖縄県の本土復帰を祝う式典に関しては、政府は開催しない方針であるという。
これに怒りたい気持ちは、確かに尤もである。
沖縄の存在を重要視するならば、沖縄の本土復帰式典も挙行すべきだろう。
少なくとも、それにより沖縄の面目は保たれるわけであり
筋を通すためには、沖縄は沖縄で別に式典を開催する必要があるだろう。