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東京の神社を参拝しよう!

ついに東京進出を果たした神崇連。
都内はまことに大きな神社が多い。
単純に人が多いということもそうだが
江戸幕府があり、大名屋敷が置かれたのと
明治以降は皇居が置かれてこの地域の神社が隆盛を
極めたということもある。


最初に向かったのは新宿の花園神社。
歌舞伎町を横目に見て、新宿区役所のすぐそばにある。
これまた結構大きい神社なので、わかりやすいのではなかろうか。

これは明神鳥居。八幡鳥居との違いは笠木の部分に
反りがあるかどうかだ。
この神社は正式には花園稲荷神社と申して、徳川氏入国以前の
創建と伝わっている。明治維新前までは、真言宗の三光院が
別当を務めていたが、後に神職となった。
社名の由来は、ここに尾張徳川家の花園があったためである。
祭神は、倉稲魂神日本武尊、受持神である。
倉稲魂神と受持神(保食神とも)は農耕の神で
日本武尊は武神である。というのは、この神社
実は大神神社日本武尊)、雷電神社(受持神)が合祀されているため。

境内には芸能浅間神社もある。
新宿コマ劇場があったので、その縁かもしれない。
というのは、浅間神社は祭神が
木花咲耶比売だからだ。

社殿は工事中。
8時から受付ということだったが
7時くらいには空けていたのでさっそくご朱印をいただく。
由緒のパンフレットは新しくできたばかりだそうだ。


次に向かいたるは明治神宮
副都心線で行ったのだが、新しくできたばかりで
ホームの乗車口にドアがついているのが特徴。
仙台地下鉄でもこういうのあるね。

明治神宮は、当然のことながら明治天皇昭憲皇太后を祭っていて
内苑だけでもその広さ約70万平方メートルを誇る。
鳥居は明神鳥居で日本最大級だが、皇室ゆかりの神社なら
当然神明鳥居になると思っていた。
これは恐らく、皇室累代ではなくて明治天皇ご夫妻を
お慕いするための神社だからであろう。

神宮の森といわれる、参道。
セミの鳴き声や鳥のさえずりが心地よく
日の光もさほど当たらないため
涼しく感じられる。それに、この広い参道を
掃いて清めている人が何人もいるのだ。

拝殿も大きい。人も大勢いたし
外国人観光客も大勢いた。
とても癒されたねぇ。パワースポットとしては
ここは確かになんかの力があるね。


この後は、実は順調に巻けていたため
当初予定になかった東郷神社に行く。
神宮前駅を通り過ぎ、竹下通りをまっすぐ行くと着く。

この神社は、日露戦争で活躍した東郷平八郎海軍元帥が
祀られている、典型的な顕彰型神社である。
従って、明神鳥居でもあるし、東郷元帥にあやかって
勝ち守りというのも売っている。これにはZ旗もプリントされている。

これが社殿。神宮に行った後に見るとこじんまりと感じるが
それでも宮城県護国神社と同じくらい大きい。
朝だからかもしれないけど、若い人たちが箒で掃きまくっていた。
東京が羨ましいなぁと思うのは
こういう、保全作業をきちっとやっているところだ。
もちろん、ここでも御朱印をいただけました。


次はご存知、靖国神社だ。
先週、反天連と在特会・ちゃんねる桜が激突した。
一週間も経つと、静けさを取り戻して多くの人が訪れている。

2回目の参拝だけど、いつ見ても鳥居が大きい。
この神社は明治2年、東京招魂社として創建。
明治12年靖国神社に改称された。246万6千柱の戦没者が英霊として
祀られており、世界全国から多くの参拝者が訪れる。

社殿は現代建築にもかかわらず様式は江戸初期のもの。
特にこの唐破風は極めて精巧で、当時の戦没者に対する
畏敬の念をよく見ることができる。
あ、そうそう。韓国人の団体がたくさん来てた。
しかも祈祷を受けようと、初穂料の価格を聞いていた。
もちろんここでも御朱印いただけます。


次はそのまま徒歩で東京大神宮。
九段は学校が多くて、私立なんかが多いようだ。
仙台と違い、東京では私立学校はいわゆるエリート学校
ところでエリート学校って、どうすればエリートになるわけ?
それはともかく、東京大神宮は北上すればつく。
電車で行く場合は、JR飯田橋駅が近い。

この神社は、伊勢神宮の出張所のような形で明治13年に創建されたのが
始まり。これは全国にあり、もちろん仙台にも片平あたりにある。
敷地はこじんまりとしていて、仙台大神宮と共通する。
伊勢神宮系であるから、鳥居は神明鳥居だし、社殿も神明造だ。
祭神は、皇室の祖神である天照大神豊受大神
その他造化三神など、数多くの神様が祭られている。

参拝客は、昨今のパワースポットブームのおかげか
女性が多かった。神前結婚も行われていたし
従って混雑していた。
境内では、冷たい麦茶とわらび餅が配られていたが
最高にうまかった。


さて、どんどん行こう。
ここで、仲間のはじめ氏と合流。
彼の案内のもと、神田神社へ行く。
神田神社御茶ノ水駅が近いかな。
湯島聖堂を通り過ぎるよ。

有名な神田明神だから明神鳥居。
奥に見える随身門もとてもきらびやかだ。
この神社は、天平2年(708)の創建と伝わり
門首塚周辺にあったが、江戸城の表鬼門にあたる当地に
移ったという。それ以降、江戸総鎮守として崇敬を集めているという。
社殿の建築様式は江戸中期あたりのもので、瓦屋根であることからも
神仏習合が濃くなった時代のもののように見える。
祭神は大己貴命、少名彦命、平将門命。
大己貴命(オオナムヂ)は大国主命と同一の神で
国づくりの神として知られる。少名彦命はその子で
この2柱はそれぞれ大黒天、恵比寿と習合している。
平将門が祭られているのは、以前首塚周辺にあったためである。

これびっくりしたのは
左下のほうに、着物の子どもの姿が見えると思う。
しかしこの子ども。実は人形だった。
それにしても、将門を祀るというのはなかなかないが
これは、荒ぶる御霊、即ち荒御霊を神様として祀ることで
福の神様に変わってもらおうという、わが国古来の神道観である。
そのせいか、将門首塚に参拝すると商売繁盛するという話もある。
あ、ここでもご朱印もらえたよ。


えーと、次は歩いて湯島天神だ。
湯島駅に近いけど、ぶっちゃけ御茶ノ水から歩いていける。
このへんは、財団だの社団法人の本部がたくさんある。
しかも微妙な団体…いるんですかね。

これも典型的な明神鳥居だな。
湯島天神って、結構有名で聞いたことあるんだが
なにで有名だったかは覚えていないな。
この神社は、元々別の神社があったものの郡民の強い要請により
太田道灌が文明10年(1478)天満宮として再建したという。
徳川家康も崇敬が篤かったという。
ご祭神は、菅原道真のほかに天手力雄神(アメノダヂカラオ)である。
天手力雄神天照大神が天岩戸に引きこもった際
岩戸の前で宴会を開き、天照大神がそっと外を覗いた時に
引っ張り出した神様で、力の神・スポーツの神として知られる。
従って、この神社は文武両道に通じるわけだ。

さて、ここでは中堅氏の合格を祈願した。
有名なところだけあって絵馬がたくさんあり
榴ヶ岡天満宮もかくやというくらいである。
人も多いし、宮城県民ももっと神社に参拝してほしいものだ。
ここでもご朱印もらえました。


次はラスト。赤坂日枝神社だ。
赤坂からでも溜池山王からでもいけるけど
我々は国会議事堂前から行った。

この鳥居は極めて珍しい山王鳥居だ。
松島にも日枝山王神社はあるけど、そっちは山王鳥居ではなかった。
ということもあって、この日枝神社は極めて正統的である。
この神社は、文明10年(1478)に太田道灌が創建したもので
湯島天神と同時期である。この歳、道灌は古河公方守護代長尾景春らと
激しく争っていた時期でもあり、これとの関連性も予想できる。
徳川氏入部後は、同氏の氏神となり、宮城の鎮守となった。
永田町の中心地にもあることから、官幣大社となり
今でも官庁街から崇敬が篤い。
祭神は大山咋神などで、延暦寺の守護ということでも知られる。

官幣大社というだけあって、存在感がすごい。
気になったのは、狛犬が犬ではなくて猿?になっていたこと。
鳥獣戯画みたいだな、と思った。


さて、とても疲れたし、歩き回って足にマメが出来てしもうた。
だが、東京5社のうち4社をまわり、そのほかも
まわることができて、非常に満足だ。
しかし東京の神社は広いし、参拝客も多いのは羨ましい。
社殿も立派だし…。
ま、何はともあれ、次は府中の大国魂神社にも行きたいね。