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鳴子温泉神社

今日は、2つの神社に参詣したので
それらを紹介しよう。
最初に行ったのは、鳴子の温泉神社
この温泉神社は、鳴子小学校のすぐそばだが
駅からも近いよ。

この神社は、式内社で「続日本後紀」の承和4年(837)
「陸奧國言。玉造塞温泉石神。雷響振動。晝夜不止。温泉流河。其色如漿。
加以山燒谷塞。石崩折木。更作新沼。沸聲如雷」とある。
突然、雷のような響と振動があり、しかも温泉が河となって流れた。
その色は漿(濃い水)であったというこで、加えて谷を塞ぎ
石が崩れて木が折れた。さらに新しく沼ができたのだという。
実はその11年前に鳥屋ヶ森山の噴火によって温泉が湧き出たのが
鳴子温泉の初めといわれるが、11年のズレをどう読むか。
陸奥国からの報告が、実は11年前のことを指し
朝廷もいつのことかは聞かなかったことなのか
或いは、噴火自体は何年か続き、その過程で温泉が出たのか
または、陸奥国が適当に年月を報告したのか。

とにかく、そういった自然現象は当時吉凶を判断する上で
大きく取り上げられ、温泉神社をつくり玉造温泉神が
従五位下に无位された。
祭神は大己貴命(おおなむち)と少彦名命
両柱ともに国造りの神として出雲大社に祀られている。
これが意味するものは…

ちなみに社殿は瓦葺だが、神仏習合の跡は見られない。
板碑には「竜神」とあり、龍神が水の神に由来するものだからであろう。
しかし実は、この温泉神社のほかにも温泉石神社というのがあって
どちらが「続日本後紀」にある神社なのかということで論社となっている。
ちなみにここでご朱印をいただけました。


次に向かったのが東鳴子温泉神社。
御殿湯駅のすぐ近くで、国道47号線沿いにある。
従って、47号を走っていれば鳥居は簡単に見つかる。

ここは手入れがされておらず、草も生え放題だった。
東鳴子温泉自体は江戸中期の開湯なので
創建はそのあたりだろう。というのは、温泉地には
鎮守社が当然のごとく建立されるからだ。
日本人の民族性といおうか、温泉の神秘さに惹かれるのだろうか。

本当に草ボーボー。
すぐ脇に陸羽東線の線路を見下ろすことができるので
撮り鉄にとってはうってつけかもしれないな。