白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

小沢は社鼠である!誅せよ!

今日は晴れ、やや冷える。
相変わらず寒いですなぁ。昼はそうでもないが
夜はマジ寒い。コート着てるくらいですよ。
大体寒暖の差が激しすぎるよな。地球温暖化はどこいったよ?
それとも氷河期か?
まぁ、ある意味氷河期ではあるけど…。


さてと、今日は記事がいささかたまっていたんで
昨日の分も含めて書いていたよ。
あと、久々に取材はなかったもんで集中して書けた。
しかし記事は先が見えないぜ…。
この世に文字と人間がいる限り、終わりのない仕事だ。


そうそう、一つ最近思うことがある。
我々人間は、それぞれ立場もあるし、生活があるわけだが
巾を意識することが多い。
巾とは、一言で言えば「身の程」である。
「身の程知らず」という言葉があるが、無謀であったり、僭越であったり
といった意味で用いられる。大切なことは自分の能力や立場をよく理解し
その上で立ち居振る舞いを気をつけるということだ。
それをよく実践したのが、俺が私淑する晏子だ。
彼は臣下は臣下の巾を超えず、君主は君主の巾を超えてはならないという考えを
持っていた。すなわち、臣下はよく社稷のために尽くし
君主は民のために尽くすべきであるという考えだ。
だから、晏子は民に慕われ、晏子を通して景公に訴えることが多かった。
例えば、「景公路寝台成、逢宇何願合葬、晏子諌而許」という話。
景公は路寝の台という宮殿を建てた。
そんなある日、晏子が馬車で道を行くと、逢宇何というものがやってきた。
何事かと聞けば、彼の母が亡くなったので父祖の墓に合葬したいが
台の下にあるのだという。しかも、それが叶わなければ四方にこのことを
訴えるというので、晏子は困ってしまった。
何はともあれ、景公に拝謁して晏子は実情を説明したが
案の定、景公は不快になった。
そこで、晏子はこう諌めた。
「そもそも古代の王は、自らのために豪華な台を作り、他人の土地を
 奪ったりしませんでした。今、逢宇何の父祖の墓が台の下にあるのは
 公が彼の土地を奪い、死者を弔わさないでいるということです。
 どうか合葬を許可いただきますように」
景公は、合葬を許可し、無事逢宇何は母を弔うことができたのである。
もちろん、これは晏子に理解のあった景公の判断も褒めるべきところだが
いかに彼らが民を大事に思っているかがわかるシーンである。


また、晏子は宰相(上卿)であるから、当然政治についても問われている。
景公は「国を治めるにあたって、何を心配すればよいだろうか」と問うた。
晏子は「社鼠と猛狗でしょう」という。社鼠は社(やしろ)に住むために
すき間に身を隠したり、知らない間に柱や壁をかじってボロボロにしてしまう。
しかし、いぶりだそうとすれば社が燃える恐れがあるし
水を注ごうとすると、壁を壊す可能性がある。
これと同じことで、近臣にもいえることであるという。
つまり、内には己の善悪を君主の中に覆い隠し
外には権威を傘に着て、百姓に無理難題を押し付ける。
猛狗とは、自分に気に入らなければすぐに噛み付く。
これを誅しなければ乱を起こし、誅すれば人々は安心するというもの。


はて?「己の善悪を君主の中に覆い隠し」
「外には権威を傘に着て、無理難題を」「気に入らなければすぐに噛み付く」
…もろ当てはまる人が思い浮かんだ。
どっかの与党の幹事長…。
誅すべきなのか?これは。