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山形市東沢地区は不思議な場所だ

今日は取材が終わったのが夕方で、結局1日仕事だったんだけど
帰り道の東沢あたりに神社結構発見したので寄ってみたよ。
東沢地区は、山形市を馬見ヶ崎川沿いに東側に向かうとある。
源義家・為義親子が陣を張ったり、いろいろ歴史的に見ても極めて面白い場所である。


最初は、蔵王大権現である。
286号から東沢小学校側に入って少し走るとすぐに着く。

鳥居は明神鳥居で、寛永年間のものであり大変古いものである。
蔵王大権現というと、今の蔵王山にある刈田峰神社
あそこが確か蔵王大権現である。
この神社は、この土地にいた農夫・井上太郎大夫が子どもができずに
天に子どもが授かるように祈ったところ、妻に一人の僧が入る夢を見た。
で、まもなく妻は妊娠し、生まれたのが、後に才徳優れたことで有名な覚山である。
覚山は修験となって、あちこちの霊山を修行してまわったが
吉野金峯山で霊夢を見て、蔵王に霊山があることを知った。
そこで、蔵王山の復興を決意し、登山路の整備などに注力したという。
これが刈田嶺神社の始まりだと案内板にあるのだが
これはいささか眉唾ものである。
何はともあれ、これ以後、斯波兼頼最上義光、鳥居忠政と
支配者が変わっても、蔵王大権現は変わらず崇敬を集めていた。

この神社も明らかな神仏習合、しかもゆるやかな習合ではなく
修験と融合した神道に、さらに仏教が混交しており、いささか混乱する。
例えば、鳥居が明神鳥居なのに祭神が大権現となっているのは
「大権現」という呼称がすでに、仏が神の姿で現れたのだという
本地垂迹説が混じっているからだ。ここまでくると、誠に複雑で
きちんと順序立てて整理をつけないと、訳が分からなくなるぞ。


次は加茂神社(雷神社)だ。
えーと、蔵王権現からさらに東へ進むこと約3分ほどの場所にある。

この神社は、延文5年(1360)に山形に入部した斯波兼頼
京都の上賀茂神社に勧請して、建立したものとされている。
上賀茂神社の祭神は賀茂別雷大神というて、賀茂氏の祖神である。
従って、加茂神社と雷神社の両方を併記しているわけだ。
京都における加茂神社は、王城鎮護として崇敬されていたわけだが
推測として、斯波兼頼も笹谷街道の外敵から山形を守ろうということで
この神社を創建したのでは?ということも考えられる。

このご神木がめちゃくちゃでかい!
案内板には市内で最も太いと書いてあるが、何基準だそれは?


そのほか、住吉神社にも行きました。