白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

県北その3・気仙沼ホルモン満喫ツアー-早馬神社を中心として-

今日は晴れ、冷える。
今日もまた、冬模様。雪もちらほらで
積もりはしなかったが、そのうちドカ雪がきそうだな。


神崇連(仙台市、菊地代表幹事)は、かねてより計画していた
「県北その3・気仙沼ホルモン満喫ツアー-早馬神社を中心として-」を15日、実行した。
行きたいなー、でも遠いなー。でも行きたいなー
と、夢に描いていた気仙沼への道。ついにやったぞ!
それで、その模様について回想してみたいと思う。
さ、じゃあ気仙沼への旅。行ってみよう!


メンバーは菊地とオブザーバーのHermit氏。
今回の目標は、早馬神社と御崎神社を参拝致すこと。
その周辺の神社へ参拝。
ルートとしては、国道45号をひたすら海沿いに走り
利府から塩竈→松島→東松島石巻登米と行く。


本日一発目。
横山神社である。ここは横山不動尊のすぐ側で
長谷寺の中にある。

この神社は、縁起がよくわからんのだけども
807年に坂上田村麻呂が、大宮売命を勧請したのが始まりだとか。
ただ、この社殿。結構立派なものだったが
同じくらい廃れていたな。
境内には、町指定文化財の杉並木があった。
ここは当然、無人だった。
もしかしたら、長谷寺のほうでこの神社を管理しているのかもしれない。


次は南三陸町に入って、戸倉神社へ。

この神社は、45号を南三陸町を北に走っていると右側に鳥居を見ることができる。
ここの神社の鳥居は新しいんだけども、両部鳥居なんだよね。
で、本社は保元2年(1157)に、横山不動尊百済国から浜に漂着した時に
なぜか地面が割れて、漂着した船が沈んでいってしまった。
その沈んでいった場所に戸倉明神社ができたわけだけど
明治2年神仏分離令によって、分社となっていた武内宿祢、国常立尊天児屋根命
合祀し、今に至るというわけであった。

朱で塗り固められていて、何とも海の景色と合うのだが
これも新しいから、最近になって改修されたものだろう。
境内には、釣鐘もあって、「3回叩けば煩悩が云々」と書いてあった。
これは明らかな神仏習合の名残だよな…。
あ、ここではご朱印いただけました。
ただ、普段はやってらっしゃらない感じだった。


さて、次は上山八幡宮だ。
ここは南三陸町だけど、旧志津川町だね。

ここは地図でも載ってなかったんだけども
南三陸町役場近くの仙台銀行と薬局の脇に公園の入口がある。
神社はその公園のそばにあるので、車を公園に止めるのがいいだろう。

この神社は、伝承ではあるが、前九年の役の際、源義家
石清水八幡の勧請で、この地に八幡神社を創建したのが初めだという。
度重なる遷座と、チリ地震津波での被害など、ずいぶん苦労された神社みたいだ。
境内には古峯神社もあるが、これは八幡神社兼務社だ。
ここでもご朱印いただけました。


さて、どんどん行こう。
この時点で、大体11時くらいだったけど、7時に出発したから4時間だ。
ここからも結構長かったな。
南三陸町を越えて、本吉町をスルーし、気仙沼までひた走る。
計画では、一番遠いところから行こうってことで御崎神社から行こうと。
この御崎神社のある場所は、御崎にある…その名の通り、唐桑半島の先っぽだ。
ぜひ地図などで確認してほしいんだが、気仙沼に行くだけでも大変だが
さらに唐桑半島の先って!
でも行ったよ。ノリだけでどこにでもいきます。


そういうわけで、御崎神社だ。
説明は必要はないだろう。半島の先っぽだ。
ここいらは、休憩所みたくなっていて公衆トイレなどがある。

で、この御崎神社だけど、伝によればいつの創建かはわからないものの
伝によれば、九州の日向国御崎にあった御崎神を、飫肥城主・伊東祐時の後裔が
戦乱を避けて、神璽を奉じてこの地にやってきて、社を建てたのが始まりだという。
また、延喜式桃生郡名神大社、計仙麻大島神と尾崎神の両方をお祭していて
特に、計仙麻大島神は本社の東方にある平板に権宮があるということだった。
確かに、『延喜式』を確認すると牡鹿郡十座のうちの一つになっている。
その後、神仏習合の流れとかありながら明治維新を迎え
明治2年には、日本武尊を合祀して社号を日高見神社となった。
戦後、伝統を重んじる形で御崎神社に改名し、今でも参拝客の姿が絶えない。

実際、立派な社殿であって、あちこちに寄進の表示があった。
社務所も結構大きかったけど、誰もいなかった。
しかしこれほど敷地も広いと、初詣とか社祭の際は多くの人が詰め掛けそうだ。
あぁ、そうそう。ここでご朱印いただけました。
きちんと「陸中海岸国立公園内唐桑半島鎮座」とあった。


その後、半島の付け根まで戻って、早馬神社へ。

この神社は、建保5年(1217)鎌倉幕府の有力御家人梶原景時の兄・梶原景実が
神職をしていて、鎌倉幕府の衰亡や、梶原氏、和田氏などが没落していく様を憂い
この地に来て、一族を弔うために梶原神社を建立したのが始まり。
その後、早馬大権現として、早馬山頂に寺院をつくるなど神仏習合の流れを見せていたが
明治の神仏分離で、社号が今に至るというわけ。
だから梶原氏には大変ご縁がある神社なわけだ。

この神社も、とても綺麗で、コンパクトにまとまっていて、とても好感が持てた。
社務所のところには、参拝者の休憩所が設けられている。
ご朱印を頂いて、待っている間にお茶をご馳走になりました。
この神社…良い!


さ、どんどん行こう。
次は、気仙沼のまちなかに戻って、フェリーにて大島へ。

このフェリー、大島まで約20分の航海で片道400円。
1,2階部分が客席になっているが、これは気仙沼に用があって
大島に住まいがある方などが多いからだ。
観光客のほうが少なかったな。


大島も約3000人が住んでいるから、道路とかお店がある。
タクシーやバスも走っていたんだけど、目指す大島神社に行くためには
どうすればいいかを聞いたら、リフトは止まっているのでバスだと言われ
言われるままにバスに乗った俺たち。
だが、どうやらバスの行き先が何だかおかしい…。
終点まで行って、こりゃ逆だ…と気付いてしまった。
仕方なく、歩きながら店を見かけたらタクシーを呼んでもらおうということで
海岸の綺麗さに写真を撮りながら感動していたが
Hermit氏はイライラしながら、ぶつくさ言うていた。
結局、コンビニみたいなところでタクシーを呼んでもらい、大島神社へ。


この神社は山の上にあるため、本来ならリフトに乗っていくのが良いが
冬は動いていないために、タクシーで行くか、無理して徒歩でいくかだ。

社殿はとても立派で、彫刻も細かい。
この神社は、創建年代は明らかではないものの
式内明神社になっていることから、格式が極めて高い。
祭神が倉稲魂神で、これは稲荷神として知られ、農耕・商売の神様だが
農耕の神様がなぜここに?というのは当然の疑問だろう。

境内から裏の海、つまり太平洋を撮影。
すっと広がる水平線…とても幻想的だ。


気仙沼に戻って、よし帰ろうってなった我々だが
俺はこの時点で、結構眠くなったし、歩き回ったのでちょっと疲れていた。
悲劇はこのあと起きたのである。
45号は混みそうだから、登米を通って松島に出るルートを選択したが
夜のことだから地図がまったく見えない。
45号から346号に入ったのはいいが、間違えて県道18号に入ってしまい
ずっと北上してしまった。しかも話に夢中でそれに気付かず
道を間違えたことに気付いたのは、岩手県一関という標識が見えた時だった。
仕方なく、216号に入り、藤沢町へ出て295号に入り、そこから登米に出た。
だが、このあたりで俺の眠さは極限。
しかも、方向感覚が完全に狂ってしまった。
346号を中心に米山、涌谷、古川周辺をうろうろして、本当にやばかった。
ガソスタで地図を確認し、鹿島台から松島へ出て、そこから帰ることができた。
とりあえず無事に帰れてホッとした。