三宝、そして本尊とは。
法論、というものがある。
法論とは、仏教や神道などの各宗派において
その教義や、本尊などの正邪や正当性を討論することなのだが
最近、日蓮正宗法華講の樋田氏と創価学会並びに顕正会などと
日蓮仏法についての法論を盛んに行っている。
これは、神道から見ると極めて参考になる場合も多く、よく見る。
その前に、仏教徒とはどのような人かというと
仏教には三宝がある。つまり仏法僧であって、それらに対して帰依した
人々の事を言う。では、その仏法僧は何かというと
仏は仏様だが、それは宗派の祖を挙げる場合も多い。
例えば日蓮宗の一部では、、仏宝は日蓮大上人のはずだ。
これは各宗派で違うものだから、仕方ないのかもしれないが。
法宝もまた、各宗派で違う。なぜなら、法宝とは「仏の教えであり、仏によって
説かれた教え」のことだからである。
であるから、かなり多くの仏教宗派は「大般若波羅蜜多経」を法宝としているはずだ。
僧宝とは、この宗派における僧、つまり教導者の中でも悟った人だとか
偉大な事跡を残した人のことを言う。
大体は、座主や法主のことをいうようだ。
で、本尊というのは、その宗派で最も大事なものであり、宗派の存在意義である。
日蓮正宗として我慢ならぬのは、創価学会が日蓮正宗を破門されているはずなのに
未だに正宗の本尊を崇め奉っているということで
しかも、それをコピーして信者に配っているということらしい。
なぜ印刷がいけないのかというと、開眼がなされていないためだという。
開眼とは、宗派のトップ、つまり法主や座主といった立場にある人が
物に魂を込めること。正宗のご本尊、弘安2年10月12日のご本尊は日蓮の手によるもので
それには魂がこもっているために、霊験があるのだという。