白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

第弐次 広い地域は計画性が大事なんですのよ−加美・大衡・美里・登米−

仕事の後は神社めぐり。午後丸々空いたので
よし、少し遠くまで行こうってことでHermit氏も連れて
神崇連の活動だ。
まず、行ったのは塩竈神社。なぜなら、塩竈神社で新しく
朱印帳を調達しなければいけなかったから。
ご朱印付きだったけど、以前貰ったことあるので、ノーカウントとしたい。

紅葉と鳥居がマッチして、誠に良かった。


実質1つ目だが、御釜神社へ行った。
ここは、塩竈神社の表参道から信号を渡ってすぐ。
広い場所でないので、駐車場がない。従って塩竈神社から
徒歩で行かなければならないが、それほど遠くないので大丈夫だ。

ここが鳥居。近い感じがするけど、すぐ側で工事をやっていて
うるさかったし、神社の目の前に工事車両があったので
正面から撮ることができなかった。

ここでは、本殿がそのままあるっていうか祠。
名前の通り、塩竈神社末社ではあるものの
日本社例祭の際には、ここで製塩しご神饌とする慣例となっていて
そのために、末社とはいえ厚遇を受けている。
ちなみに、ここでもご朱印をもらえる。ただし紙。


次はちょっと足を伸ばして鹿島台
ここも平成の大合併で、今や大崎市だ。
そこの鹿島台神社へ。

この鹿島台神社は、明治42年鹿島台村の行財政改革
14社を合祀したことから創建された。
だから相当新しい神社である。
ちなみに、何が合祀されたかっていうのがわからんけど
祭神から見ると
建御名方命諏訪神社)、倉稲魂命(稲荷神社)、安閑天皇蔵王山神社)
火産霊命(愛宕神社)、伊弉那岐命(多賀神社)、応神天皇八幡神社
武甕槌命鹿島神社)、宇賀之御魂命(稲荷神社)、素佐之男命(八坂神社)
こんな感じかな。他のがわからないんだけどもね。

明治時代だから、やはり新しい社殿。
ただ、ここの社紋が三引両紋だったもんで
宮司さまに伊達家と関係があるんですか?って聞いたら
「何かしらかかわりはあると思います」とのこと。
どういうかかわりかっていうのはわからんかったけど
ご朱印はいただけました。


次は、美里町まで行って、山神社だ。

鹿島台もそうだけど、ここいらは県北部というより中北部だから
4号とか高速使うより、利府か松島まで行って、そこから北上するのが吉だ。
で、この山神社。鳥居がでかい。
桜田山神社もそうだが、こう山神社ってのは鳥居がでかいのが
スタンダードなんだろうか…。

これが社殿。彫刻がとにかく細かい、とても緻密で感動する。
福島の篠葉沢稲荷の彫刻と比べても遜色ないのではないか。
後で宮司さまにお聞きしたら昭和のものだってことがわかったわけだけど。
この神社は、永治元年(1141)小山田清寧という住人が
家の神として勧請したのが最初。
で、江戸時代に仙台藩がこの地に小牛田駅(駅場)を作るにあたって
社殿を造営。以来地域住民から厚い崇敬を受け、明治時代には小牛田町総鎮守として
指定され、以降、安産に良いとして多くの参拝客を集めた。
実際、俺が行った時も何かの祈祷をされていた。
ご朱印も立派なもので、とても良かった。


最後に、羽黒神社へ。

ここは参道入口。神社自体は羽黒山公園の中にあって
上っていかなきゃいけないんだが、とても急で
きっく号が普段の走りから想像もつかない唸りを上げていた。
お前…、俺たちのためにそんな…!

何か人工的な郭がたくさんあったけど、もしかして城跡なのかな?
えーと、この神社は後三年の役の際、源義家の武将・鎌倉権五郎景政が勧請。
松山町の総鎮守となった。
拝殿左側にある絵馬は、茂庭升元が藩主名代として孝明天皇即位式に臨み
大任を果たした御礼によるもの。

田園地域がよく見下ろせる。いい場所だ。
ちなみに社務所っぽいのもあるし、拝殿の中でも
机があって書類が散乱していたり、社務を行っている感じだった。
ただ無人だったけど。


今日は他に、志呂庫神社というところにも行った。