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第壱回福島県神社ツアー

今日は晴れ、やや暖かい。
仙台の天気はどうだったのか知る由もないが
しかしまぁ、こっちは結構暖かかったよ。ずっとスーツだったから。


今日はね、神社崇敬者連合(略称・神崇連)の活動で福島へ!
神崇連っても、別に保守的な団体ってわけじゃなくて
ただ単に、宮城県内で神社めぐりが好きな人が集まるだけです。
しかも、俺が勝手にそう呼んでるだけなんでね。
まぁ、それはともかく。
今日はね、リストにも載っていましたが
「福島北部その2・伊達氏の故郷を旅する。〜霊山神社など〜」
に基づいて行ってまいりました。そう、福島に!
今回、我々には現地の土地勘に詳しいということで
中堅氏が運転手に志願してくれた。ありがたいことである。
では参ろうぞ、信夫郡へ!
メンバーは俺、なかたか氏、中堅氏の3名である。


最初に向かったのは、もはや伊達家とは関係ないが
二本松市の総鎮守ともいうべき二本松神社へ。
ここは、二本松駅の真北、すぐ近くだ。

この神社は八幡鳥居で、極めて典型的な鳥居だ。
実は品陀和気命(八幡様)と伊邪那美命(熊野様)の両方を祀っていた。
それで、「御両所」とよばれて親しまれてきたとのことだった。

これが社殿。この唐破風などは、鶴岡八幡宮でよく見る建築様式だ。
従って、八幡信仰の影響は受けていると考えていいと思う。
ここの創建は、大体15世紀頃に畠山氏によって創建されたのが初めて。
寛永20年(1643)に二本松に封じられた丹羽光重は25石の社領を
80石の扶持米を寄進するほどの崇敬ぶりだったという。
10月に行われる「二本松提灯祭り」は県指定重要無形民俗文化財に指定され
日本三大提灯祭りの一つに数えられているという。
しかし、今日行った時は七五三の真っ只中。こっちでは先週だったけどな。
それで、とにかく忙しそうで、ご朱印も紙を貰って幕とした。
明日は新嘗祭だし、繁忙期だなぁ。


次は、須川南宮諏訪神社。ここは道路沿いだったかな…。
松川とかそのへん。

ここは名前が一気に出てこない。
鳥居とか、あと板碑なんかがやたらある。
で、他のところもそうだったが、「懸社」の部分が消されている。
社格制度だからだろうけど、消すところまでやっているところは
福島ならではといったところか。
宮城県内では、そのままにしているところが多い。

これが社殿。よく見るまでもないのだが
瓦葺だ。で、この神社が神仏習合の影響を受けているのかっていうと
見た感じ、そうでもないんだよな。
ただ、建物自体が新しく、特にガラス戸を使っているところなど
明らかに戦後のものだ。だから、恐らく神仏習合とかそういう問題ではなく
戦後に新しく作ったものが瓦葺だったというだけなのかもしれない。
ちなみに、集会場らしきものがあったが無人社務所もない。
ただ、功徳碑があって、それをよく見たら日露戦争で第4軍司令官として
大活躍した野津道貫大将の手によるものだった。


さて、次は松川のほうにある篠葉沢稲荷神社だ。
結構道が狭いところだったんで、見つけるのに難儀した。
山奥だしね。

ここでは神明鳥居っていうのはちょっとおかしい。
と思ったら、奥にあった鳥居は稲荷鳥居だった。
この神社は、正長元年(1428)に創建されたが、それには逸話がある。
このへんに住んでいた医者が、急に妊婦が産気づいたとの知らせを受けて
かけつけたところ、その妊婦は大変なお姫様だった。
無事出産も終わり、医者は帰って寝たわけだが
朝になって外に出てみると、1匹の鮭が軒先に置いてあり
狐の足跡が続いていたという。
で、安産の神様ということで伏見稲荷から分霊を受けたということだ。
だから祭神も倉稲魂命
神社にはそれぞれ、ストーリーがありますよね。それがいいんだ。

これが社殿。彫刻がとても見事なんだが本殿の彫刻がとても見事。
というのは、すべてが彫刻。柱から何からすべてが彫刻なのだ。
これはとても見事だと思ったね。
ここでも七五三。それで、社殿内で祈祷をやっていたので
静かに参拝していると、中から篳篥の雅な音色が…。
森の中、篳篥の音色を聞いていると、何だか心が和んでしまって
俺たちはしばらく、その篳篥に耳を傾けていたのだった。

これがお狐さま。なかなかかわいらしい顔だ。
あ、そうそう。ここでご朱印をもらえたのはいいんだけども
俺の分だけ、ご朱印帳の逆側に書かれてしまった…。
ものすごくガッカリしていたら、なかたか氏が大爆笑。
俺はこの件をずいぶん引きずり、中堅氏に叱責される羽目になった。


てわけで次々。
えーと、鹿島神社に行った。鹿島神社
松山とは方向が違うので、どうしようかなと思ったが
行くべき!と決断。すぐさま向かった。

典型的な明神鳥居だ。
創建の時期は定かでない。鹿島神宮より分霊を受けているようだが
その時期もわからない。
ただ、式内社だから、延喜式には載っていて霊験あるとのことで
勲五等に叙せられている。

ここも七五三で家族連れが多かった。
ちょっとタイミング悪かったな。
こっちでは先週じゃないですか、だからいいかなと思ったんだけど。
ちなみにここでもご朱印をもらえた。
けど、宮司さまがご多忙ってことで紙に書いたもの一枚しかなく
俺となかたか氏による譲り合いの結果、俺がいただくことになった。
ありがとう、なかたか氏。


ここいらでちょっと休憩してお昼ご飯。


次は福島稲荷神社。すっげえストレートなネーミングだが
逆にそれがわかりやすい。とりあえず福島を代表する稲荷神社だってね。

場所は中心部にほど近い場所にある。だから鳥居もこんなでかいが
駐車場が有料のものしかなくて、とても難儀した。
この神社は、永延元年(987)陰陽師で有名な安倍晴明が奥州に下向した際
この地が肥沃で、とても良いということで勧請し、創建されたといわれている。
江戸時代では福島藩の厚い崇敬を受け、福島市の鎮守として
市内から多くの参拝客が訪れている。

これが社殿。とても立派だ。
社殿の前にレッドカーペットが敷かれているが
実はこの時、結婚式が行われていた。それで結婚式はどんな形式で
行いたいかってちょっと話題になった。
俺は…そうだな、神前かな。羽織袴が着たいので。
できれば衣冠束帯がいい。


その次はそれほど離れていない福島県護国神社だ。

ここは信夫山公園の中にあって
市民の憩いの場になっている。
まぁ、名前の通り靖国系の招魂型神社だ。
明治12年に創建されていて、当然戊辰戦争の戦死者も祀っている。

この立派な社殿は昭和12年に造営。幸運にも戦火を免れている。
この翼を広げたような、コの字形の社殿というのはなかなか珍しく
向かって右側に社務所がある。
ここでご朱印帳を買おうかと思ったら売ってなかった。
しかしこれで、宮城・山形・福島と南東北3県の護国神社は参拝した。

隣には、黒沼神社がある。ここは式内社であって
信夫山三社と号し、羽黒・湯殿・月山の三社を祀っている。
鎮座してから1700年くらい経つそうで、欽明天皇の石姫皇后が
奥州に下向した際に、この地で薨じたということだ。
それで、菊の紋章を使っているのだという。
ちょうど、お参りした際に、宮司さまらが境内のお掃除をなさっていて
参拝した気分ではなかった。ちなみにご朱印はやっていないとのこと。


よし、どんどん北上していこう。次は八幡神社だ。

本当は鳥居も写したんだけど、思い切り中堅氏となかたか氏が写りこんでいるので
今巷で流行の肖像権を意識して、社殿のみで勘弁。
この八幡神社は、飯坂温泉のすぐ近くにあるが、ちょっと道路が狭いのと
住宅地に入り込んでいるので、観光客は来なさそうだ。でも広いし、立派な社殿。
この神社は、創建年代が明らかでないものの、宝永7年(1710)に当時の社司が
棟札を筆写していて、そのあたりだろうということだ。
で、形式から見ると18世紀に改築が行われているのでは、という
福島市教育委員会の考察が案内板に載っている。
俺もこの段組から見ると、江戸中期だと思っていたが
やはり教育委員会のようなところの考察だと信が置ける。
もちろん、その神社に伝わる社伝も、ストーリーがあって面白いのだが。
いずれせよ、ご朱印にも書いてあるとおり飯坂温泉の総鎮守として
これからも末永く温泉郷を見守ってくださる。
もちろん、そのためには氏子の皆さんの力なしでは成し得ない。
地域の方々の皆さん、ぜひこの神社をこれからもお願いします。
ここでもご朱印をもらえたが、「できあいのしかない」ということで
紙に書かれていたものをいただいた。
「紙でもらうところが多いね」と嘆息していたら
中堅氏が「信仰心が云々」とまた、たしなめられてしまった。


ここからが大変だった。もう巻きでいこうってことで
実は、ここから伊達神社、霊山神社に行くことになっていたから。
で、伊達市に向かって一直線…だったのだが
「ちょっと待って!」と大声をあげたのはこの俺。
「西根神社参道P→」という看板があったためだ。

これもまた典型的な神明鳥居ですねぇ。
この西根神社は、この地域がまだ上杉氏の所領だったころに
米沢藩奉行古河善兵衛と郡役佐藤新右衛門が、大規模な堰、つまり水路を
開削した。その功績を称える意味で、明治19年に西根神社が創建され
この二人は祭神となった。
こういう経緯からして、近代によく見られる顕彰型神社である。
山形でも、大学堰を完成させた北楯利長を祀る北楯神社があるが
それと同じ祀り方だと思う。

社殿も神明造でなかなか立派なもの。
ご朱印も頂戴できたのだが、こちらは高畑天満宮も合祀されているので
西根神社と高畑天満宮の両社のご朱印をいただいた。
でも、紙だった…。

ちなみに、この鳥居のところにはこんな史跡がありまして
「三州刈谷藩分領湯野(堅?)陣屋跡」とある。
これは三河国(愛知県)刈谷藩の分領を統括する湯堅陣屋があった跡地。
当時の刈谷藩は、藩主が土井氏でわずかに2万3000石。
そのうちの1万3000石は福島藩と所替えをして、飛び地をここに得たわけだ。


この頃にはもはや薄暗くなっていて
まさにギリギリのところだったが、伊達神社へ。
福島市から伊達市まで、ひたすら北上だ。

これが伊達神社。とても小さい神社でなんぞこれと思ってしまう。
宮司さまがお掃除をしてらして、いろいろお話を聞く。
この神社は、創建年代は史料が焼失してしまい残っていないが
宮司さまの家は大槻とおっしゃるそうだが、伊達家から三引両紋を
頂戴して、名前までいただいたという。
ただ、最近はやはり氏子さんたちの崇敬も薄れ
誠に痛ましい社殿になってしまった。
しかし、祭神はイザナギイザナミ、そして天照大神であって
福島では大層珍しいのだとか。

これが三引両紋。伊達家はもともと仙台にいたわけではなく
その前には岩出山におり、その前は米沢にいて、その前に福島県伊達郡にいた。
もともと鎌倉幕府御家人だったが、伊達郡を治めるにあたって伊達氏と改めた。
当時の家紋はこれで合ってたかな。
ご朱印は当然やっているはずもなかったが
「このハンコはあるけど…」とのことで
無理を言ってご朱印を押してもらったら
ご丁寧にも、きちんと他の神社のように書いてくださった。


ここを発つ時、すでに真っ暗。
トリは霊山の霊山神社にしようと決めていて
とりあえずは行ったが、本当に真っ暗で誰もいるわけもなく。
当然写真も真っ黒。
というわけで解散した。
運転手の中堅氏には心から感謝を。
そして同好の士、なかたか氏には尊敬を。


で、とりあえずこれまでのツアーリストだけど
こんな感じで埋まってきた。
●、○はほぼ行った(細かい神社は改めて行く必要あり)
▲はこのエリアの神社に参拝せるも、まだ途中。


▲1、県北その1・大崎の旅〜伊達氏の名残を求めて〜

●2、県北その2・栗原にくりば?志波姫神社とスタッフゥ〜!

 3、県北その3・気仙沼ホルモン満喫ツアー-早馬神社を中心として-

 4、県北その4・鳴子温泉温泉神社を見た!→岩手南部・水沢に陸中総鎮守が存在していた!

▲5、県中部その1・広い地域は計画性が大事なんですのよ−加美・大衡・美里・登米

 5、福島北部その1・南東北の雄、相馬氏は何だったのか。相馬神社へ

○6、福島北部その2・伊達氏の故郷を旅する。〜霊山神社など〜

 7、山形南部その1・天地人無関係ツアー〜安久津八幡、上杉神社など〜

 8、山形北部その1・ミイラでも見いら?〜出羽三山〜(12月以降不可)

 9、県南その1・まぁまぁうーめんでも〜白石・角田〜

●10、県南その2・足元にご注意を!〜岩沼の愛宕神社、名取の館腰神社など〜