白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

行きたいところがたくさんあって

今日は晴れ、やや暖かい。
来週から、また全国的な冷え込みがスタートするらしく
天気も崩れそうだと予報で言っていた。
今年の冬は寒くなりそうだな…。


今日は、残っていた仕事に手をつけたものの
月曜に会社でやればいいかな、なんて思ったり
ただ来週はいろいろやることがあるしで
結局、読書になっていた。
でもそうすっと、神社めぐりはお休みかなぁ。
まだ残っているプランとしては
1、県北その1・大崎の旅〜伊達氏の名残を求めて〜
2、県北その2・栗原にくりば?志波姫神社とスタッフゥ〜!
3、県北その3・気仙沼ホルモン満喫ツアー-早馬神社を中心として-
4、県北その4・鳴子温泉温泉神社を見た!
5、県中部その1・広い地域は計画性が大事なんですのよ−加美・大衡・美里・登米
5、福島北部その1・南東北の雄、相馬氏は何だったのか。相馬神社へ
6、福島北部その2・伊達氏の故郷を旅する。〜霊山神社など〜
7、山形南部その1・天地人無関係ツアー〜安久津八幡、上杉神社など〜
8、山形北部その1・ミイラでも見いら?〜出羽三山〜(12月以降不可)
9、県南その1・まぁまぁうーめんでも〜白石・角田〜
10、県南その2・足元にご注意を!〜岩沼の愛宕神社、名取の館腰神社など〜


こんなに残っている!
年内のうちにどれかは行く予定。


そういえば最近、中国古典を読み漁っている俺だが
老子にだけは手を出せないでいる。
この無為自然という思想だけは、どうしても受け入れがたいからだ。
無為自然とは、簡単にいえば時は常に変化し続けるものなのだから
そこに人の手を加えたところでどうにもなるものでもないということ。
例えば、ここに一冊の本があるとする。
この本は物質である限り、いずれ形を失うだろう。
それを何とか止めようとしても、それは無駄であり、かえって醜いものである。
それならば、自然の赴くままに任せるべきで、それが当たり前の姿なのだ。
これはあくまで一例であって、いろいろ解釈や用法はあるんだけど
仏教における「諦観」と同じと思って問題はない、と思う。
厄介なのは、それが道という概念だからだ。道は人生観や処世術に通じる。
ゆえにそれは果たして自然といえるのか?という疑問に直面する。
俺は、そういうものは体系化することなく、誰にも提唱されるものではなく
自覚することのないものだと思う。だから無為自然という概念が出た時点で
それは自然ではないだろうと、思ってしまう。
日本人は昔から自然に親しみ、怖れ、敬ってきた。それでいいじゃないか。