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遅ればせながら「かんなぎ」神社へ

今日は晴れ、やや暖かい。
晴れた上に、結構暖かくて
車内で冷房を入れたほどだった。
ほら、車内って密閉してるから温度がこもるわけですよ。
しかも天気がよかったから、日光で車内が暑くなるんだよね。
だから、こういう時に子どもを置いていかないっていうことや
生ものを置いていかない、貴重品を置いていかないってことを
習慣化する必要があるね。


さて、今日はHermit氏のもと。神社崇敬愛好者連合会(神崇連)で
またしても神社だ。
今回のプランを説明しよう。今回は、多賀城周辺をあらかた片付けて
七ヶ浜に入り、海を目指すのだ。そう、ドイツ軍のように。
さぁ、そんなわけでね。始まりましたけれども。
Hermit氏が寝坊、ということでね。約40分遅れで始まっております。
えーと、まずは陸奥総社宮。
ここは前も来たことがあったんだが、実は以前もがよし氏が
来仙した時、「陸奥総社宮でもご朱印をもらえるらしい」という
報告があったんだが、いや社務所はないよ(というか閉まってる)
と言下に否定してしまった。だが、実際にご朱印を貰った方がいる
ということなので、再確認を行うためにやってきた。

この明神鳥居の脇には、総社のほうで包括している神社が列挙されているが
これらはすべて、延喜式内社だ。式内社は極めて格式があるということだから
その取りまとめってのは凄いことだ。

社殿は、この神社の立ち位置から見るとずいぶん小さい。
正直、塩竃神社くらいあってもよかったんじゃないのか…。
もちろん、日本の神道は神社を中心に発達したわけではないので
あまり大きさについては重視されることがない。
社務所についてだが、やはり社務所は空っぽ。
ところが社殿で宮司さまが何やら準備をしていて、その場で朱印を書いてもらった。
ただ、以前は気付かなかったが、実はこの神社の隣にはでかい駐車場があって
そこにはやはりでかい社務所?的な建物がある。
多分あそこで祈祷とか、護符を販売してるんだと思う。
だからご朱印もそこでもらえるはずだ。


次は、浮島にある浮島神社な。ちょっとこんもりした丘にあって
古代・中世時代には、この近くから見ると、浮島のようだった。
だから浮島という地名になったという。

おもわくの橋といい、浮島といい、何とも雅な感じのする多賀城
多くの文化人も多賀城にやってきたし、有名な武将や官人も赴任しているわけだから
彼らが「ここを文化都市にしよう」って都市計画をやっていれば
藤原氏が平泉を仏教都市にする如く、平家が福原を新都にする如く
ちょっとした文化都市が誕生したことだろう。
それが実現しなかったのは、あくまで多賀城はあるゆる意味で成熟してなかったこと
例えば、大野東人が鎮守将軍となった時、まずは交通網を整備しなければいけなかった。
政庁の施設自体も創らないといけない。そこから始めなければいけなかったのである。
それに古代の陸奥国司はガチで官僚、陸奥異動をある種の左遷とさえ見ていた中央政府
陸奥軽視が都市計画を阻害したともいえる。
それはもちろん、蝦夷の抵抗も激しかったため、文化よりもまず軍事だという
歴史的事情が大きい。


さて、次は柏木神社だ。

ここいら一帯は柏木遺跡っていう、多賀城関連遺跡でもある。
ここでは、主に製鉄、鍛冶工房があったと推定される遺跡で
窯や炉跡が検出されている。
で、この柏木神社では幼稚園も経営しておられて
山形の諏訪神社みたいだ。

これが社殿だが、境内はまるで庭園のようだった。
とはいえ、正直それほど手入れが行き届いているようには見えなかったが。
で、この神社は延暦2年(783)の創建。塩竃神社随従の神である藻塩場老翁、藻塩場老女
を祀っていて、塩竃神社でもよくやっているように、塩を煮てそれを柏の葉で包んで
庶民に頒布したことから柏木となったそうだ。


そして今日のメーンであるところの
七ヶ浜にある鼻節神社に行ってきた。

鼻節神社と聞いて、まぁ戸松遥さんのファンならピンとくるんじゃねーの?
かんなぎ」のモデルになったという神社だからだ。
この鼻節神社は、名神社ってこともあって極めて格式のある神社だ。
ていうか、かんなぎのモデルって誰が言ってるの?一部のファンが言ってるだけでは?
なんて思っていたら、七ヶ浜町が率先して言っていたらしい…ナンテコッタイ

表参道の看板に従って行くと、そこに広がるのは大海原。
ここの部分だけちょっとした入り江になっていて
波消しブロックがそれに沿って設置してある。
これはかなりの釣り場だぞ。
ご神域なのでご法度だとは思うけど。

この神社は、おそらくこの一帯で最も格式のある神社なのかもしれない。
つまりどういうことかというと
六国史の一つである「続日本後紀」以下の記事が見える。
「承和十一年 丁酉。奉授陸奧國无位勳九等刈田嶺神。无位鼻節神並從五位下。縁有靈驗也」
承和11年は844年だが、霊験有るによって陸奥国刈田嶺神社に勲九等、鼻節神社を従五位下
陞叙した。さらに延喜式では名神大となっていて
これもまた特に霊験がないと認められないから、理由はわからないが
何かすごいことがあったんだと思う。
しかし、こんな凄いところがこれほど寂れてしまっているとは…。
このあと、吉田神社とかいろいろ行った。


で、Hermit氏と別れたあと、俺は仕事へ。
なじみのところだったんで、気楽っちゃ気楽だが
いやぁ、昼間いろいろ動いたんで、だんだんファジーでね。
眠くてしょうがなかった。
でもタイムリーな話題で勉強になった。



☆今日の衝動買い☆

戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)

戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)

戦国時代に仏教に帰依する大名ってのはかなり大勢いたわけだが
この大名の間で仏教というのはどういう意味合いがあったのか
っていう流れを期待したんだけど、なぜか日蓮宗中心に論じられていて
あまり読み応えのないものになってしまっている。
浄土宗や曹洞宗も相当広まっていたはずだが
それらとの比較も欲しい。
あと参考文献に創価系のは入れないほうがいい。


幻の大連 (新潮新書)

幻の大連 (新潮新書)

筆者が20年以上大連で過ごしたというので、その当時の暮らしを
事細かに綴ったもの。当時の日本人全般の総意というわけではなく
筆者の思い出語りになっているが、それを前提に発行したものなので
それを気にしなければ、大変新鮮味のある本書。


ビジネス力養成講座 入門編

ビジネス力養成講座 入門編

経営戦略から企業人事まで、さまざまな事例に関して問題形式で
解説されていき、MBAの入門にあたっては大変良いもの。
発行年が4年前と、古めではあるものの図もあって字も大きいのでわかりやすい。