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仙台・村田の神社

その後、ご他聞に違わず神社。
取材先から、近い場所にあったんだけど
亀岡八幡をすっかり忘れていたんだ。それで、一つ行ってみようと。



この鳥居は、典型的な八幡鳥居だ。
つまり、石清水八幡系の神社にはすべてこの様式が用いられる。
たまに違うんじゃね?と思うものもあるが、それはなぜか
って考えるのもまた面白い。

鳥居をくぐってちょっと歩くと。

なんだかこの風景…昨日もどっかで見たような…。
しょうがないので、この石段を登る。
大体80段くらいあったかな。
で、上りきった俺の目の前に広がっていたのは。
さらなる石段だった…。
がんばって上る。これは100段。
上りきると、さらに石段…ここでは50段程度。
つまり、250段近い石段を登ってきたわけだ。
大年寺の石段は250段だから、大体同じくらいだな。
しかしこのへんはまったく手入れされていない。
石段は崩れているものもあるし、手水舎もなく、草ボーボー。
広い敷地だからしょうがないが、手入れをすれば
もっと人が来ると思うんだけどな。


これが社殿。前にズズイッと庇が出ているのは流造と思われるが
これまた、新しいものだな。
元々、この神社もそう古くはない。
かつて伊達朝宗、つまり伊達家の初代当主だけど
それが福島県にいた時に鶴岡八幡を羨ましがって創建したのがはじまり。
1602年、関が原の合戦後に神職が仙台に移ってきて
仙台に遷宮させてもらえないかとお願いをいた。
で、寛永年間に、その願いが届けられて遷宮とあいなった。
ただ、仙台空襲の戦火によって、社殿があらかた焼失したので
やはり新しいものだった。
しかし、ここもまた不思議な雰囲気。
とても心が洗われる心地よさを感じて
石段に腰を下ろしてポケーッとしてしまったよ。


次だが…さてどうしたもんか。
と、思っていたが…よし、村田に行ってみっか!
ともう夕方だってのに、高速ぶっ飛ばして村田へ行く。
つもりだったんだけど、なぜか遠刈田温泉に行ってしまった。
というのは、ここには蔵王刈田嶺神社があって
そこのご朱印帳が見事だという話を聞いたため。
いや、本当に急いだよ。マジで。未だかつてない急ぎぶりだったね。
まぁ、着きましたけどw


この延喜式内神社ってのは、927年にまとまられた
延喜式神名帳」っていうのに記載されている神社のこと。
つまり、かなり格式の高い神社ってことだ。

この神社は極めて蔵王信仰と密接にかかわっている。
つまり、この遠刈田温泉にあるのは里宮で、奥宮は
蔵王連峰の一つである刈田岳にあるからだ。
で、刈田嶺神社が一時期蔵王大権現といわれていた上に
神仏習合とごっちゃになってしまって、カオスな時期があった。
明治政府が、それはいかんというわけで、郷社としたわけだ。
しかしまぁ、くたびれたよw