白雉日報社公式ブログ

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県北へ!

今日は晴れ、やや温かい。
去年もこんなだったような気がするけど
季節の変わり目で表記を変更した途端に
また逆戻りみたいなこと。
ただやっぱり寒暖の差は激しいので
風邪は引かないように気をつけたいところ。
風邪といえば、妃殿下が悪疾を召されて
陰陽寮大嘗祭を開催したとの由。見事平癒遊ばした。


さて、今日は取材。
あれ、今日日曜日だよね…そんなの気にしないからw
また朝早くでかけることに…最近朝出かけることに慣れかけている自分にびっくりだ。
そりゃ眠いよ。だから朝の取材は半目しか開いてないんだ。
それにしても、今日の取材はいささか困ったな。
自由に取材ができなかったから。何か言った意味あんまなくねみたいな。
その後、フォロー的なことはあったんだけど
そこまでしてもらわなくてもいいかなって、思ったんだ。


取材後、大衡城跡へ向かう。
何それって?俺も行ったことはなかったんだな。
場所的には、役場のすぐ近くにあって、4号バイパスから入ってすぐの場所にある。
史跡公園として整備されていることもあって、駐車場やトイレもあるぞ。

駐車場から曲郭群をのぞむ。この城は1544年に黒川晴氏の次男である大衡宗氏が
築城し、黒川郡北方の守りに当たった場所だ。
黒川晴氏といえば、伊達政宗を裏切って猛攻を仕掛け
生涯にわたって苦しませた武将だ。しかし、豊臣秀吉による奥州仕置において
所領没収の憂き目に遭い、この城も役目を終えたのだった。


これは登城口のとこにある城門だが
どっかで見たことあると思ったら長命館に同じのがあるな。
というか、こういうタイプの城門が当時一般的だったっていう
整備の方法なんだろう。実際そうなのかどうかは別として。


しかし保存状態はきわめて良い。
曲郭はもちろん、土塁もしっかり残ってるし
登城口があえて本丸曲郭の脇を通るようになっているのも
整備の面で工夫した跡が見られる。



本丸曲郭は史跡公園となっていて、青年交流センターや民俗資料館がある。
この石碑はちょっと脇にあるんだけど、ここからの景色もまた良い。
右に見える比較的広い道路は、国道4号でこの地区では対面通行。
つまりこの城からは国道4号はばっちり見下ろせるし
川も蛇行しながらすぐ側を流れているので、天然の要害となっている。
最大の欠点は、背後からは本丸へ一直線なので、攻められたらおしまいってことかな。
そっちは住宅地になっていて、どんな施設があったのかは窺い知ることができないが。


そのあと、吉岡八幡神社へ。
こにで珍しいのが、山門がまっかっか。

そういえば、神社はまっかっかなところも多いが
どうしてなんでしょうね。
とっさに思い浮かんだのが、サンスクリット語
「偉大な」を意味する「マハー」だが、一説によると
それが転じて「真っ赤」となったという。
「真っ赤な嘘」というのは大きな嘘という意味でそこから来ている
というのだが。確か鳥居もそんな感じだったような?
ここには宮司さんはたまたまおられなかったが
普段はおられるようだ。