白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

1964年の今日は、東京オリンピックがあった日だ。
さて、東京五輪といえば、実はその前に東京五輪開催の予定になっていた。
そう、1936年のミュンヘンオリンピックに続く、夏季五輪の会場は
何と東京だったのさ。
1940年開催立候補には東京のほか、ロンドン、ローマ、ヘルシンキが立った。
そこで、加納治五郎や政界・財界が説得に回ったわけだが
特に副島伯は、ローマ立候補を断念してくれるよう、ムッソリーニの元を訪ねた。
そこで、アジアではオリンピックの開催は未だない。
アジアで行われることがクーベルタン男爵の理念である。
というようなことを説いたのだそうだ。
するとムッソリーニはあっさりとローマの立候補を辞退してくれた。
ロンドン立候補というのは、実は英国のイタリアに対する反発から出されたもので
ほとんど準備らしいことはなされていなかった。
従ってローマさえ辞退すればロンドンも辞退する。
そんで実際ロンドンも辞退した。
ところで、IOC委員は各1票ずつ投票することができる。
アジアの中で気になるのは、投票権を持っていた蒋介石中華民国政府だった。
当時日本と蒋介石の国民党とは正に敵対関係にあった。
だから投票してくれるわけがない。
だが中華民国は日本に投票した。
「今度行われる五輪はアジアにしなければならぬ。アジアで五輪をやるのに
我々が協力しないことはない」という理由からだった。
投票結果 日本 36
     フィンランド 27


フィリピンのIOC委員ヴァルガスは1940年東京開催に尽力した一人だが
1959年次の五輪開催地に再び「日本」と書いた。
戦中はケソン大統領の下で働き、戦後すぐに米軍によって逮捕され
軍事裁判を経て、ようやくIOCに復帰することができた。
当時、東京開催に奔走した主要な人物で、生存しているのは彼一人だったのである。


94カ国、5571人が参加。