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またしても大雪。ほんとにこの大雪にはうんざり。
去年の12月は全然降らなくて、逆に訝しがったものでした。
山形といえば豪雪地帯。盆地だから、山降ろしがすごいのです。
本日、昼頃に「男たちの大和」の予告スペシャル。
これは昔どっかの民放がやっていたものに補足を加えただけのもので
私も録画していたものでした。使いまわしはいかがなものかと思います。
それにしても、戦艦大和…旧日本海軍のシンボリックな存在であり
その撃沈は戦争の終結を意味したといわれています。
同型艦の武蔵はレイテ沖で沈没していましたが、大和の方が有名なのは
やはり連合艦隊の旗艦であったことや、犠牲者の多さによるもので
ありましたでしょう。武蔵は急降下爆撃によって撃沈されたので
大和は高角砲を増やしたのです。そのために数百人の増員がなされたわけですが
いくら高角砲を増やしたといっても、急降下爆撃はほとんど垂直に爆弾を投下
するわけですから、効果がないのです。
しかも大和が沖縄特攻に向かったといっても、沖縄の周りには数百隻の米艦隊に
よって包囲されていましたので、手遅れなのです。
連合艦隊司令長官だった伊藤整一中将は、こんな無謀な作戦は無理だと
草鹿龍之介参謀長に食ってかかった時に
「要するに、死んでもらいたいのだ」と言われたそうです。
しかしながら、乗組員はこれを栄えある戦いだと意気込んだのです。
それまで大和は出撃の機会はなく、あったとしても後方にいるだけでした。
大和にとっての初攻撃が飛行機に対してだったということも栄誉ある戦いとは
いえませんでした。その割には艦内にはラムネ製造室もあれば冷房もある。
水兵1人につき約2畳のスペースがあたえられたというのですから
「大和ホテル」と陰口を叩かれていたのです。
その存在、実は竣工した昭和16年には、公にされませんでした。
世界初の42cm主砲を搭載した大和の存在を世界に知られたら、スパイの格好のネタ
になるからです。ですから「24cm砲」とか何とか出鱈目な数字で撹乱させたそうです。
当然工廠員にも緘口令がしかれて、決して外部に漏らさぬようにしたわけです。
アメリカ側で大和を初めて見たのは、潜水艦でした。
その艦長によると、大和に対して魚雷を発射、1発が命中したのを確認したが
大和は何事もなかったかのように立ち去った。かなり驚いたそうです。
当時からしてみればそんな戦艦は存在しないと思われていたからでしょう。
「男たちの大和」楽しみです。