白雉日報社公式ブログ

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昭和19年(1944)の今日、パラオ諸島ペリリュー島守備隊が玉砕した日。
日本軍は陸海軍合わせて9800人(歩兵第2連隊長・中川州男大佐)
中核は歩兵第2連隊と15連隊で、1万人たらず。
対して米軍40000人。
「海岸までは2、30mぐらいなのだが、ずらっと生い茂っていた椰子の木
はすでに砲爆撃で全部倒されていたから、10mも突撃すれば
もう殺したり殺されたりの白兵戦です」(飯島英一氏談)
この島では、玉砕が禁じられたことで知られています。
固い珊瑚礁で守られた洞窟に潜んでゲリラ戦を展開
昭和天皇も「今日のペリリューはどうか」と訊ねるほどで
御嘉尚を11回の及んだといいます。御嘉尚とは、天皇のお褒めの言葉で
「よくやった」という感じです。とはいえ、長期に渡るゲリラ戦で
食料・弾薬は尽き、補給もない。それでも「がんばれ」と言われても
無理な話なわけです。 それでも玉砕命令が出ることはありませんでした。
戦場にいる兵士は、飢えと緊張のため疲れ果てていました。
生還した人の話によると、当時は早く死にたくてたまらなかったそうです。
玉砕した後も多くの兵士がゲリラ化したため
それらの投降は終戦後です。
日本軍生存者446人
米軍死傷者約2500人

今、この島は観光名所として名高いのですが
今に伝える戦争遺跡が残っています(写真参照)。
米太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ提督による碑には以下の文
「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るために日本軍人がいかに
勇敢な愛国心を持って戦いそして玉砕したかを伝えられよ」