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1943年の今日は、大東亜会議が開催された日です。
大東亜会議というのは、日本が主催した国際会議で
東アジア各地の指導者が集まりました。(といっても傀儡)
出席者を挙げてみますと


ウー・バー・モウ(ビルマ国内閣総理大臣
張景恵(満州国国務総理大臣)
汪兆銘中華民国国民政府行政院院長)
東条英機(日本内閣総理大臣
ワンタイヤコーン(タイ王国内閣総理大臣代理)
ホセ・パシアノ・ラウレル(フィリピン共和国大統領)
スバス・チャンドラ・ボース自由インド仮政府首班)


といった、ほとんど日本の勢力圏内でのリーダー達です。
何故、この会議が開かれたのか、色々理由があります。
一番大きいのは、日本が何の計算もなく戦争に突入してしまったこと。
西太平洋を制圧したのは良いのですが、その前に大義名分がなかったのです。
ですが、東南アジアの人達は日本軍は解放軍であると見えたわけです。
何しろインドは英国の植民地でしたし、フィリピンはアメリカの植民地。
インドネシアもオランダの植民地でしたから、日本軍が来た時は
それはそれは大歓迎したわけです。
ところが、これは日本軍にとっては予期せぬことだったのですね。
何しろインドネシアに攻め込んだのだって石油が欲しかっただけだし
フィリピンだってアメリカの根拠地だったというだけでしたから。
1942年に、段々日本軍が守勢に立たされると、ようやく大義名分に気づきました。
それが「大東亜共栄圏」です。日本を中心に、東アジアの人々が共に栄えましょう
そんな考えの下、開催したのが大東亜会議なわけでした。
バー・モウは『ビルマの夜明け』でこのように述べています
「1943年の末、アジアの独立した諸国代表が、史上初めて一堂に会する機会を持った。
(中略)事実、それは歴史を創造した」
また汪兆銘は「国父孫先生(孫文)が提唱せられました大亜細亜主義
既に光明を発見したのであります」と演説しています。
ラウレルは「日本は勿論生存することをを望むでありましょう。しかし同時に
日本は、その同胞たる東洋諸民族が生存することをも願うのであります」
と演説。「大東亜共同宣言」が採決されました。
内容は
「東アジア各国は自主自立を尊重し、親和をなすこと」
「米英の支配を排除すること」
「人種差別を撤廃して、共栄すること」
これらは、ドイツ・イタリア・ハンガリーブルガリアルーマニア・スペイン
デンマークの各国公使が傍聴の下採決されたのでした。
アジアにおける初めての国際会議でもありましたが
最も大切なのは、この会議が後に東アジア独立運動の契機となったことでした。