白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

本日は、田尻町の木戸窯跡第二次発掘調査現地説明会に行ってきた。
木戸窯跡は、多賀城が創建されたといわれる724年(神亀元年)の当時に
操業していた窯跡で、多賀城創建期の第2段階に位置付けられる。
下伊場野窯跡→大吉山窯跡→日の出山窯跡
        木戸窯跡 
という時系列が成り立つ。
ちなみに木戸窯跡は新田柵に隣接しているため
新田柵にも瓦を供給している・・・かもしれない。

今回の調査では3基発掘され、120、121型式の軒丸瓦
511型式の軒平瓦が出土している。セット関係はかなり明白だ。
あれだけ天井が残ってるとなぁ・・・。
それから瓦が窯体内で立てかけたまま残されていた。
初めて見る!凄いな!でも窯壁化した土にひっついて取れねー。
だから残ってるのかもね。いやぁいいものを見たなー。
そんで、去年の報告書が出てるようなので「くださいな♪」
というと、くれることに!ありがたや!
N島さんとも久々にお会いした。郡山遺跡の発表があるそうだ。
いやぁ是非聞きにいきたいな!
S木先生は今年の宮城県考古学会総会で発表してましたねー。
俺が現説にこだわる理由は実はこういうところにある・・・。
あ、そういや学会の年会費払ってねー!!