白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

前述のように、俺の探究心というのは、286号を走っている時に突如起こった。
「そういえば、この辺に楯跡があったな・・・」
そう思った俺は、東沢地区を巡り巡って、山があれば登り、白い標柱があれば車を
止めて走っていった。が、それらしきものがありすぎて、どれがどれだかわからない。
そこで、東沢公民館で聞いてみた。すると、郷土史会の会長さんを紹介された。
「ふむ、とりあえず調査報告書があった方がいいな・・・」
そう思った俺は、一路学校の図書館に向かった。
が、その途中で以前に岩波観音に攻め込んだことを思い出した。
「日が暮れる前に1つ上ってみるか・・・」
そう思った俺は、岩波観音へ。そこに岩波館跡がある。以前は途中までしか行けなかった。
それでその奥まで行った。が、道は途中でなくなり、崖は急で登れそうもなかった。
そこで岩波観音前まで戻ってくると、なんと、その裏に道があるではないですか!
「おう!?」
そう叫んだ俺は、その道をひたすら進んだ。すると「日吉神社」なるものがあった。
なんか拝殿が放置されてるっぽくて、ちょっと寂しかった。
道はそこで途絶えている・・・かに見えた。が、探究心にかられた俺は止まらない。
その裏に水路があったのだが、その脇の小さい道をさらに進んだ。すると、明らかに
人工的な金属製の渡しが。
「これだ!」
そう叫んだ俺は、そこから登っていった。
すると、曲輪があるわあるわ。マーベラス!遺構状態がかなり良い!
なんか竹が伐採してあるし、きちんと整備はされている模様。
あらかた巡って、下ろうとした。が、下り道がわからなくなって、遭難しかけた。
無事下り終えると、図書館に向けて一直線。すぐさま報告書を借りて
東沢郷土史会長さんの御宅へ。突然の訪問にも関わらず、色々と案内してくれたし
お話もいろいろ伺った。コーヒーもご馳走になった。
お話によると、前九年の役源頼義・義家親子が陣を張って安陪貞任と戦った場所
だという。戦いが敗れた後も、岩窟に陣を張って抗戦したそうだ。
何か山大の伊藤先生もうちの大学のk野先生もご存知だった。
それについては
http://shimakubou.cool.ne.jp
に載せておきました。