白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

あまりに鬱だったので、朝は動けなかった。
ダルいとかそんなんじゃないぞ。本当に動けないんだぞ。
昼過ぎにはそれも薄らいできたので(日向ぼっこをしていると
ビタミン何だかが分泌されて体内の活性化に繋がるからである)
学校に行くことにした。
ていうかゼミである。
久々に持ち前の容赦ない大論戦を展開した。
テーマが三十三間堂官衙遺跡についてだったので、ついつい熱く
なってしまった・・・。
:俺の主張
・当遺跡は丘陵上にあるのだが、それは何故か。蝦夷に対する防御である。
多賀城も胆沢城も丘陵上にあり、9世紀といえば紛争も収束に向かい
つつある時期で、丘陵上に建築したのが郡衙とは考えにくい。
・もし郡衙だとして、宮城県福島県官衙遺跡で唯一瓦が出土していない
特殊性をどう考えるか。
・地名は「下郡」であるが、郡のつく地名で郡衙でない遺跡も
あり、参考程度にしかならない。
の3点から「郡衙ではない」と推測した。
しかし、そこで先生が助舟をば。
・確かに蝦夷対策で丘陵上に作る場合もあるが、文献によると
「倉は高所に建てるべし」の記述があり、妥当といえる。
・瓦が出土していなくても郡衙の条件は満たしているといえるが
それは問題といえる。
・「郡」の地名は確かに地域の流動化に伴って位置が変わることがあるが
「郡」とつくからには、郡衙であると判断するのが妥当である。
とことごとく撃ち落された。