白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は、部活OBと現役一人を引き連れてちょっとした旅に出た。
というか、遺跡巡りである。
今、仙台では土器坂瓦窯跡(色麻町)の報告書を作成しているところだが
実際に行ったことがない、という問題が出来しており、俺が一つ
「行ってみるか」と誘ってみたのである。
とはいえ土器坂瓦窯跡だけ、というのも寂しいので、関連遺跡*1
も見学しつつ、その地形・環境を観察することになった。
色麻町までは、富谷町まで国道4号をひた走り、大衡村から県道
を走ることになる。
色麻町はカッパの里としても有名で、古代は加美郡衙が置かれた
とされ、それが一の関遺跡(色麻柵)と伝わる。広大な王城寺原
は、肥沃な土地であると共に、戦前・前後を通して現在でも演習場
として使用されている。
そんな色麻町は仙台から約2時間弱。遠くはないが、気軽に行ける
距離でもない。
私達は、一の関遺跡を目指したが、その途中、古墳を発見した。
円墳なのだが、神社によってほとんど覆われており、全体像を
把握するまでには至らなかった。むしろ私の関心はその神社に
注がれていた。つまりその神社は「伊達神社」だったからで
「三引き両紋」が使用されていたためである。
色麻町とどういう関係があるのか私にはわからないが、これから
調べていこうと思う。
次は一の関遺跡に向かったが、遺跡分布図をいくら見ても間違えて
いないはずなのに、目印らしきものが見当たらない。
いつぞやの郡山遺跡の前轍を踏んだかな?と思っていると
「一の関遺跡」と標柱が・・・泣きたくなった。
その一の関遺跡の近くには、「要害」という地名がある。
E川氏と「何らかの城郭の跡では?」と話し合ったが結論は出ず。
近くの寺の住職にも聞いたが、知らないという。
これは伊達関連かな・・・と内心思ったりする。
その次はようやく土器坂窯跡に向かう。これは俺の記憶をフル回転
させなければならなかった。木の位置やら、広さやら。
土器坂窯跡は、東北最古級の瓦が出土したことで知られており
赤焼きの瓦で、布目がしっかり出ている。供給先は一の関遺跡と
考えられており、両者の位置関係から、その可能性が高い。
近年、発掘の話があるとかないとか。
メインディッシュとばかりにその次は日の出山窯跡群。
これは陸奥国府である多賀城に瓦を供給したことで知られており
国指定史跡となっている。そのため生垣で遺構を覆い、窯の形を
復元している。そこからの眺めは絶景であり、ぜひお薦めする。
その後、数年前に見に行った埴輪窯を見に行く。実はこの埴輪窯
未発見で、遺跡として登録されていないのだが、恐らく、この
埴輪窯があるのが険阻な場所で、調査は困難であるからであろう
と思われる。ただ、埴輪窯は何故か少なく、その調査例も少ない
ため、貴重な存在であることは確かである。
最後に行ったのが念南寺古墳である。この古墳は色麻古墳群で
恐らく最大の前方後円墳であり、盗掘もなく、状態が良い。
とはいえ、後円部には明治時代の墓があり、この古墳が少なくとも
周知のものであったことは確かだろう。
そういうわけで、今日の踏査は終了したが、色麻町一帯は
古墳・古代を通じて陸奥北部の要衝を占めていたことは確実と
思われ、その調査を今後も継続していくべきであるとの結論に
達した。

*1:色麻町周辺の遺跡