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インドでは、前1500頃にインダス文明が滅んだとされる。
原因はアーリア人の侵入によるものだが、実はこの説は
説得力がない。虐殺の跡がないし、あっても数十体ほど。
従って、インダス文明は、その当時既に息も絶え絶えで
アーリア人はせめてとどめを刺した程度だろう、という学説が
一般的だそうである。
そのアーリア人だが、早速彼らはヴェーダ聖典の作成に着手した。
ヴェーダは「知る」の意で、知識書である。
因みにヴェーダは四つに分かれている。

リグ・ヴェーダ:神々に対する讃歌の集成。前1200年頃成立。
サーマ・ヴェーダ:歌詠の集成。読経にも通じるところがあるとか?
ヤジュル:ヴェーダ:祭詞の集成。
アタルヴァ・ヴェーダ:吉祥増益と呪詛調伏の両面に渡る呪詞の集成。前1000年頃。

ヴェーダから分かれたもので、本集(中核を成すもの)
ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林・哲学)
ウパニシャッド(奥義書)
がある。

カースト
前期ヴェーダ時代というのは、アーリア人優位主義社会だった。
司祭や首長が上におり、その下にヴィシュという一般民がいる。
最下層に先住民がいる。
後期ヴェーダ時代には完全なピラミッド型になり、バラモン(司祭)
を筆頭にクシャトリヤ(政治・軍事)、ヴァイシャ(農商業者)
そしてシュードラ(奉仕職人)がいる。
インド最初の王朝であるマウリヤ朝にはシュードラの下に
不可触民という階層ができた。
とはいえ、例え身分が低くても貧しいというわけではない。
ヴァイシャには、職業ギルドのようなものがあって、富は
バラモンに匹敵するものもあったといわれる。

クシャーナ朝
紀元150年頃、クシャーナ朝は、北西インドを支配するまでになった。
クシャーナ朝の南にシャカ族がおり、東南にサータ・ヴァーハナ朝
が存在していた。クシャーナ朝では、仏陀像が初めて人間の
形で出現した。
150年頃、アショーカ王は法勅や石注法勅を各地に建立させた。
アショーカ王はある会戦で、10万人が死んだことを嘆き
非暴力としての方針を打ち立てた。
しかしながら、それは大国としては矛盾した考えで、クシャーナ
朝は長くは続かなかった。

☆仏像
仏像が出現し始めたのは、前述の通りクシャーナ朝である。
西北インドがその起源であると言って良いだろう。
マトゥラーの仏像、ガンダーラの仏像が主な仏像だが
ガンダーラ仏像は古代ギリシャの影響を受けているのに対し
マトゥラーの仏像は、純粋な仏像といえる。

☆その他
リグ・ヴェーダには33神が登場する。それは多神教といえるが
卓越した属性・呼称で個性に乏しい。
そこで宗教学者F・M・ミュラーは、単一宗教、或いは交替宗教
と呼称した。日本神道も、実は同じことがいえる。
ところで、マウリヤ朝におけるバラモンの存在が少々変化して
いる。要するに、儀式権はバラモン階級が独占し始めたとういことである。
ウパニシャッドにあるブラーフマナー=祭式至上主義であり
バラモンは万能であった。

祭式も変化したようで、知の重視、苦行、瞑想、遊行などの
祭式の内面化が起こった。
その中で、凡我−如の理想という考え方が広く定着した。
つまり、ブラフマンを中性だとして、アートマンを究極の自己
という。それはマクロコスモス=ミクロコスモスの一致である。
二大格言と呼ばれるもので「汝はそれなり」「われはブラフマンなり」
というものがある。・・・・ワカラン(;´Д`)

この頃から、輪廻転生説が発生し、業報輪廻ともいう。
「業」とはカルマともいい。行いや行為をいう。
この考えはクシャトリヤ階級を主に普及していった。

いかがですかな?修正等お願いしたいっす。(;´Д`)