白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

千葉市で出会った東北との縁

11月3日、随分前の話になるが久々のブログになるので

振り返っていきたい。その日、僕は千葉市に行っていた。

とあるイベントに参加するためであったが、実は千葉市に行ったのは初めてだったので

レポートをしていこうというわけである。

 

護國神社と総鎮守様へのご挨拶

 

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千葉市で最初に行ったのは、千葉懸護國神社。初めて行く土地はまずその護國神社

総鎮守様にご挨拶に伺うのが自分の中でのルールとなっている。

千葉懸護國神社は、千葉県出身者の戦没者をお祀りするため、明治天皇の思し召しで

明治11(1879)年に建立されたのが最初である。

それ以降、国難に殉じた英霊の御霊をなぐさめ

天子様をはじめ皇族方が畏くもご親拝遊ばし、多くの崇敬を集めている。

実に5万7000余柱の英霊が祀られており、陸軍将兵はもとより海軍関係者も多い。

館山海軍航空隊、木更津海軍航空隊など多くの航空部隊の基地が置かれていたためだ。

陸軍では、近衛師団をはじめとした特別な部隊も他の県より多いのが特徴だ。

帝都に近い上、土地が広いため、練兵場(習志野など)といった施設が整備しやすかった。

大東亜戦争末期、陸軍参謀本部は本土決戦の水際作戦の場所として

九州のほか、千葉県の九十九里浜の防備も固めていた。もし本土決戦が惹起されていれば

もっと被害が増えたかもしれない。

 

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次は千葉市の総鎮守・千葉神社である。神社だが、まるで寺院のような佇まい。

というのも、この神社はこの地を治めていた千葉忠常が11世紀に建立したのが初だが

祭神の妙見神は、千葉氏の氏神であると同時に、神仏習合の代表的信仰なのである。

主祭神造化三神の一柱の天御中主神だが、この神は他の神とは

そもそも性質を異として道教であったり、仏教の影響を受けている。

神社新報社の『神道辞典』によると

「大陸系の天神・星神を天御中主神と同一視したことは注目すべきで

諸国の妙見社はこの神を祀る」としている。

妙見信仰は北極星を神聖視しており、武家の守護神としても崇敬を集めている。

 

何だコレ!天守閣って何だよ!

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千葉氏の拠点である亥鼻城跡には、なぜか天守閣(エレベーター付き)がある。

千葉氏は15世紀に宗家が衰退、江戸時代は佐倉藩に組み込まれたから

当然このような近世城郭はあり得ない。

ちなみに内部は資料館となっていて、千葉市の歴史を紹介するものとなっている。

千葉氏は、地頭職に過ぎなかったものの

常胤の代に平氏ではありながら源平合戦において源頼朝に真っ先に加勢したことから

鎌倉幕府の有力御家人としてその名を連ねることとなる。

その子孫は各地に分かれ、相馬氏などは特に戦国・江戸時代を通じてその命脈を

保ってきた。また国分氏や葛西氏など、千葉氏の同族も東北地方には多く見られる

ことも注目に値する。

この資料館で、研究紀要に千葉氏と亘理の葛西氏を関連付ける論文があったのだが

急いでいたため買いそびれてしまった。無念。

ともあれ、千葉氏の子孫が割拠した東北の地から、本拠に来ることができたのは

嬉しく思った(とはいえ当家は平氏ではないが)し

図らずも、千葉氏の歴史について多くのことを学ばせていただいたのは大きな収穫だった。


 

人口減少社会、解決策は「小さくても豊かな国」か?

 人口減少問題を取り上げた著書「未来の年表」で知られる、産経新聞論説委員の河合雅司氏が9月24日、仙台市青葉区で講演した。

 その中で、河合氏は2065年にわが国の人口が8000万人台にまで減少し、かつその4割近くは65歳以上の高齢者で占められる国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計値を紹介し、その動きは東北地方でより深刻化する見通しを述べた。

 その上で、「外国人移民受け入れやAI、女性の社会進出などは短期的には良いかもしれないが、長期的な解決にはならない」と断じた。人口減少問題の解決方法として、同氏は「小さくても豊かな国」づくりを提唱。「本当に守るべき産業の保護」や「商店街の曜日開店制」などを提案した。

 この講演会では登米市のまちづくり団体の代表らも出席しており、「登米市では、廃校となった学校の校舎を活用してマルシェを開催しており、気仙沼などから大勢の人が訪れる。最初は高齢者だけだったまちの話し合いにも若者が参加するようになった」と地元のケースを話した。

 自分のまちが消える?という衝撃

 2014年、日本創成会議(座長、増田寛也東京大学公共政策大学院客員教授)が発表した「消滅可能性都市は523に上る」という推計は、日本列島を震撼させた。それまで「人口減は深刻化する」と何とはなしにわかっていても、いずれ自分の住んでいるまちがなくなるかもしれない、というリアルな指摘にはかなりのインパクトがあった。その後、社人研により毎年将来の推計人口が発表されている。その結果を受けて行政では少子化対策を実施し、合計特殊出生率は幾分改善されたものの、人口減の数字にはさほど影響はもたらしていない。

 それは、子を産む人がすでに少ないからである。単純に言えば、人口を維持するためには、一組の夫婦あたり2人以上の子が必要だ。しかし、2人どころか子無し家庭も多いのが現実である。別に女性側に責任があるというわけではない。1貧困層の増加、2生涯未婚女性の増加、3女性と男性の労働が平等になった―という複数の要因が重なっているのである。

 この人口減社会をどう生き抜いていくのか。河合氏は「不便を楽しむくらいでないと」と仰っていたが、確かにその通りである。明治時代初期のわが国の人口はおよそ3500万人。大東亜戦争のあたりで8000万人となっている。「進め一億火の玉だ」「一億総玉砕」などの文字が連日新聞を踊っていたが、その時ですら1億の大台には乗っていなかったのである。その時代と将来的な構造がどう違うかといえば、高齢者の占める割合が非常に多いことだ。医術の進歩により、治せない病気というのはほとんど存在しない。しかし前述の通り子どもの数は減っていくわけだから、当然高齢者の割合は大きくなる。

 河合氏は「今は元気な高齢者が多い。例えば行政の高齢者窓口を、同じ高齢者にしてはどうか」といった提案もなされていたが、いずれにせよ年金だけでは生涯の生活を支える額に足りなくなることが予想されている。つまり健康寿命を伸ばすことが、この難局を切り抜ける一つのヒントになり得るのだ。

レッチワースの小規模コミュニティー

 さて、もう一つは「最早成長は見込めないのだから、小さいながらも豊かなコミュニティーづくりを」ということである。小さいコミュニティーを維持しつつも、マーケットは海外であったり国際分業を進めることで、結果的にそのコミュニティーは豊かさを失わない。それこそがわが国の目指す道だというわけである。これを「ヨーロッパ型」と河合氏は位置づけたが、今のヨーロッパは移民・難民の流入EUの内部矛盾により、政治的にも経済的にも行き詰まりを見せている。この点は河合氏に賛同できかねる部分であった。

 とはいえ、この話を聞いていて全てを否定しようとは思わない。EU離脱を決定した英国に、レッチワースという地方都市がある。人口およそ3万人という小さなこのまちは、河合氏が掲げた「ヨーロッパ型」にぴったり一致するのである。レッチワースは、都市計画の専門家の間では知らない人はいない。なぜなら、「ニュータウンの元祖」として位置づけられているまちだからである。19世紀末に開発が始まったこのまちでは、住民主導で再開発から維持管理まで行われている。その手法が実に変わっていて、住民が出資して開発会社(株式会社第一田園都市)を設立。協同組合によってまちのインフラやまちなみが維持されているのである。

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生活のしやすいまちをどう作るか。住民が取り組む(www.letchworth.comより)

 

 わが国においては、再開発をするためにデベロッパーが入り、行政や地権者とともに再開発組合を設立し、どのような施設を作るかリーシングする。即ち、直接的な当事者間でしか共有されないのである。一方、レッチワースは住民がステークホルダーであるから、自分の出資金がどのように運営されているか、しっかり見るようになるし、意欲と時間のある人はまちづくりに参画することもあり得る。

 これにより、まち全体が現状と課題を共有し、その上でどうまちを盛り上げていくか自分たちも知恵を出し合うことになるのだ。しかし、この大胆とも言える手法は、わが国のニュータウンでは採用されなかった。そのため、ニュータウンは歳を経るごとに老朽化が進み、現在では住民も高齢者が大部分というのは珍しくない。これをそのままマネせよとはいわないが、新しい発想で新しい手法を取り入れていかなければ、小さいコミュニティーを維持することも覚束ない。それがわが国の置かれた現状であることを認識し、その上で何ができるのか、考えていく必要があるだろう。

田舎でのセカンドライフを夢見る日々

社会人になってから数年たった時

友人たちと「書庫を作ろうじゃないか」と話し合ったことがある。

僕の友人、特に長い付き合いの連中は読書が好きで、ちょくちょく

本の推薦をしたりする。まだ20前半だってのに田舎で読書三昧を計画していたのだ。

それから10年経った現在、その友人たちは家業を継いだり、行政の文教部門のエースに

なったりで、それぞれ忙しいながらも第一線で活躍している。

そんなわけで、我々の書庫建設計画は棚上げ状態となってしまった。

政治とは「ダークサイド」か?

一方、僕はといえば相変わらず、そこそこの仕事をしつつ

弱小政治団体名ばかり管理職をやったりしている。

しかし、ポジションがポジションなだけに、やれ何とか党と交渉したり

保守系団体とお付き合いしたりしている。

保守系団体は基本的に義理人情を大事にしているが、政治ほど

人の闇に触れることはないのではないか。ウソ偽りは日常茶飯事

あっちを立てればこっちが立たず、というわけでバランスをとるのが難しい。

本来であれば国民を幸福にしなければいけないのが政治のはずだが

実際、その目的で政治を行っている議員は極めて少ない。

「以前と話が違うじゃないか」と言っても

「菊地さん、それが政治でしょう」と返される。

政治という言葉そのものが、ダークなものとして使用されているわけだ。

もちろん、それが表に出ることはない。いちいちそれを言うこともない。

「政治なんて古今東西そうであったではないか」と言われてしまうと返す言葉がない。

 

society5.0という変革

 

だが、Society5.0というパラダイムシフトが起こっている昨今

政治そのものも変えなければならないのではないか。

少なくとも、政治家が国会でふんぞりかえり、選挙の時だけへーこらするようなのは

気に入らない。情報化社会はあらゆるものを手に入れることができることが可能となった。

モノだけでなく価値観や考え方、倫理といった「コト」もあらゆる人に行き渡るようになるのが

これからの社会になると見られている。

僕も含め、時代を読み違えないよう、新しい政治を目指したい。

 

田舎で過ごすのは幸せ

 

とはいえ、最近は引退後のライフプランまで考えてしまっている。

最近、別荘のサイトを見るのが趣味になりつつあるのだ。

もちろん、遊びだけで見ているのではない。これには理由がある。

国立社会保障・人口問題研究所が3月に発表した数字によると

2045年に東北の人口は現在より3割も減少するという。

仙台市も実は自然減が始まっているから、地方部はより深刻であろう。

当然、空き家も増加している。4年前に「空き家対策特措法」が施行されたが

正直大きな成果は挙がっていない。

地方では都市部と比べてアクセスも悪く、買い物に行くことも一苦労だからだ。

従って、地方都市や郡部で進めている「空き家バンク」事業は、定住というよりは

セカンドハウスとして使用してもらおうという視点が入っている。

実際、山形県の某市では12件のうち10件の空き家が埋まったが、そのうちほぼ全てが

セカンドハウスとしての利用だそうだ。

もちろん、それは定住とはいえない。しかし行政としては固定資産税が入るため

それで構わないのである。人が住まない家は劣化が進み、それこそ倒壊寸前の「特定空き家」

になってしまう。それだけは避けたいというのが国の思惑だ。

であるなら、ぜひ僕も一つセカンドハウスをもち、日本第一党が軌道に乗れば

少なくとも僕より優れた人が多くなるだろうから、お役御免で

静かに暮らしたいと考えているわけだ。もともと釣りが好きである。

山でも良いし、海沿いでも良い。晴耕雨読の日々も良い。

鈴木貫太郎元首相は、戦後農事研究会を組織し、まさにそのような生活をされていた。

www2.nhk.or.jp

 

まったく憧れるセカンドライフである。

さてさて、国会まで人を送るようになるには何年掛かることか…

乗りかかった船である。それまでは一生懸命やる。

そのあとは、静かに暮らすってことでいいね?

百貨店崩壊、まちはどうなる?

相次ぐ百貨店の閉店

大変久々になってしまった。

ツイッターで情報は発信しているものの、やはり長文になる場合は

ブログに限るだろう。

さて、地方老舗百貨店が壊滅的な状態に置かれている。

6月30日には、北海道函館市の老舗百貨店「棒二森屋」が2019年1月をもって

150年もの歴史に幕を引くことを決定した。函館市内における他店との競合激化のほか

集客の減少、建物の老朽化の費用が多額であることなどがその理由として挙げられている。

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(2018年3月撮影)

JR函館駅前の一等地ということもあり、駅前地区のにぎわい減少が懸念されている。なお、読売新聞によれば、2024年までに同店跡地はマンションとホテルが建設される予定という。

 さらに、愛知県名古屋市の老舗百貨店「丸栄」も6月30日で閉店した。

同店は1615年に小間物商として創業した。1992年には825億円もの売上高を記録し

東海地方における百貨店の雄であった。

しかし、インターネット通販や、時代に合わせたトレンドにうまく順応できなかったほか

JR名古屋駅高島屋が出店したことで客足は遠のき、17年には売上高が168億円にまで減少した。3期連続の赤字や建物の老朽化に伴い、ここに閉店を余儀なくされた。

 なお、東北地方においては、仙台駅前のさくら野百貨店が17年2月に経営破たんし

未だに跡地活用のめどが経っていないほか、山形県山形市の十字屋山形店が18年1月に閉店した。

  さらに、福島県福島市の百貨店・中合が二番館を閉店させ、山形県山形市の老舗百貨店・大沼もまた経営悪化により外部資本による支援を受けている状況だ。

 地方の大型百貨店(デパート)といえば、地元では知らぬ者はいないほど地域の住民に親しまれてきた。読者の中には、デパートで食事をして、屋上の小さい遊園地で遊ぶのがステータスだった人もいるのではないだろうか。

 しかし、いつしかそのようなデパートは姿を消し、イオン(中合イオングループではあるが)やイトーヨーカドーなど郊外に大型商業施設が次々と開店したほか

  インターネット通販の台頭により、地方都市の中心部における購買力は大幅に低下。それに人口減少が輪をかけ、次々と力尽きているのが現状だ。

地方の「顔」消滅で衰退に拍車

 地元の百貨店は、その地域の中心部にあり、集客の要としての役割も担ってきた。

  従って、百貨店閉店の報が入ると、行政や経済界ではほぼ確実に「まちの顔だったので残念だ」といった声が聞かれるのである。事実、函館市の工藤寿樹市長は産経新聞の取材に対し「多くの市民に親しまれてきた百貨店で、寂しさを禁じ得ない」とコメントしている。これが何を意味するのかといえば簡単だ。中心部はますます疲弊していくだろうという見方である。

  一方、このような意見もある。某都市工学の研究者は「百貨店だけが『百貨』ではない。そもそも今の百貨店は百貨ではない」と述べている。確かに、百貨店とは文字通り「百貨」であり、衣服から娯楽、食品など「多彩なものを取り揃えている」ということである。しかし、地方の百貨店は単価が高く、地域の中心部に立地しているため、わざわざ店舗に出かける必要がある。その点、インターネット通販は「揃わないものはない」と言って過言ではあるまい。楽天やアマゾンで検索すればほとんどのものは揃えられるし、価格も幅広い。商品も自宅に送られるわけで、消費者にとっては気軽に買物できる選択肢が広がったといえる。

 百貨店再生のためには、「ここに行きたい」「ここは楽しい」と消費者に思ってもらう動機付けが必要であろう。

  いわゆる「モノ消費からコト消費」であるが、単純にイベントをやればいいというものではない。人口減が進む中、「いかに消費者にリピーターになってもらうか」というのは非常に大事なことであり、地域性に合わせた展開の仕方が重要である。新しい方法では「モノ+コト」ともいえるであろうか。大手百貨店、三越では人気のブラウザゲーム「艦これ」とコラボし、定期的にオリジナル商品を展開しているほか、「インスタ映え」などSNSと連動した取り組みを実施している店舗も多い。「ロフト」や「東急ハンズ」なども非常に良いモデルケースといえるだろう。ツイッターフェイスブック、インスタグラムなどを駆使した上に、独自の商品展開を行うことにより、「この商品はおもしろい」「この発想はなかった」というのが、ロフトや東急ハンズにはあるのだ。もちろん、普通の生活必需品も販売しているため、目的買いの人にとってもありがたい。

 地方百貨店は、まさに危急存亡の時を迎えている。インターネット通販にはない実店舗ならではの「ワクワク感」をもっと押し出すことによって、新規顧客を取り込み、より現代のトレンドをおさえることができれば、この百貨店冬の時代を乗り切れるのではないだろうか。

人の感情の機微を見事に描いた名作!「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品が放送中。

世界大戦が終わったとある町に、退役軍人のヴァイオレット・エヴァーガーデン(CV:石川由依

という少女がいた。

戦時中、戦場で兵器として戦ったヴァイオレットは

ほとんどの感情を持たない。

だが、彼女は上官・ギルベルト少佐が最後に残した言葉の意味を

理解できないでいた。

戦後ヴァイオレットは、少佐の伝手で配送業の会社で働き始める。

その会社で代筆業(自動手記人形)と出会い、少佐の残した言葉の意味を

調べるため、自動手記人形となるのだが、感情を持たないヴァイオレットは

次々と困難にぶつかりながらも、少しずつ自分の気持ちに近づいていく…。

 

製作は言わずとしれた京都アニメーション

第一次大戦後の欧州のような世界観で

そこに生きる人々のたくましさや戦争の残したもの

ヴァイオレットを取り巻く人々をとても丁寧に描いている。

ストーリーも、よく練られたものであり、人の気持ちの機微

そのもどかしさをヴァイオレットを通して伝えてくれる。

京都アニメーションには珍しい作風ではあるが、まさに新境地

ぜひ大勢の人に薦めたい作品の一つだ。

 

本編PVはこちら

www.youtube.com

北朝鮮は「大砲」を捨て「バター」を選べ

平成29年も間もなく暮れようとしている。
思えば、今年は北朝鮮に国際社会が振り回されてばかりだった。
北朝鮮が発射したミサイルは実に十数回。
日本経済新聞によると、弾道ミサイルの価格は一発あたり
700億円弱に上るという*1
この一年だけで、7000億円以上をムダにしている計算になる。
これは、平成28年度の福岡市の一般会計予算よりやや少ない金額である。
つまり、政令指定都市を賄うことができる金額をミサイルにつぎ込んだのが北朝鮮なのだ。


さて、限られた予算を民需に使うべきか、それとも軍事費に回すのか
北朝鮮のような先軍政治を謳う独裁国家では、大部分を軍事費に回しているのは
火を見るより明らかである。
一方、わが国では平成29年度予算が97兆4547億円。
防衛関係費は5兆1251億円で、およそ5%である。
多いと見るか、少ないと見るかは人それぞれであろう。


ところで、戦前はどうだったのだろうか。
日清戦争(1894年)では国家予算全体の69.2%
日露戦争(1904年)では同82.3%
大東亜戦争末期の1945年には85%にも上る。
「戦時中なんだから当たり前だろ」と思われるかもしれない。
しかし、戦間期の1930年頃でさえ国家予算の30%弱に上っているのだ。
この時は、現代と時代が違い、政治も不安定で国民の生活も今のように
安定しているとは言えなかった。
もちろん、それは列強全てに言えることである。
必ずしも多いとは言えない予算をどう振り分けるか。
このことを「銃とバター理論」という。
Hearts of Iron」のプレイヤーならご存知の方も多いだろう。
国の閣僚の特徴に、なぜか付与されていたりする理論である。
正しくは「大砲とバター」というのだが
国家予算を軍事費に多く回せば、その分民需品に回す分が少なくなり
国民生活はひっ迫する。一方、民需品に多く回せば
軍事費が少なくなり、その分軍縮を余儀なくされる。
この関係性のことを言うが、戦後は「ペティ―クラークの法則」が示すとおり
先進国の産業構造が大きく変化したがゆえ、古典として扱われる。
しかし、北朝鮮に限って言えば、まさにこの「大砲とバター」が当てはまるわけであり
彼等は「バターより大砲」の政策をとっているのである。
もちろん、国際社会はバターを重視すべきと考えるわけだが
北朝鮮はもともと国民生活を抑制してきたため、今更その体制を変化させることが
できないのである。


専制独裁体制を維持しながら国民生活を向上させることを「開発独裁」といい
アジアにおいては、韓国の朴正煕政権やシンガポールリー・クアンユー政権などが挙げられる。
これらは冷戦の中で米国或いはソ連の援助を受けながら、巧妙に安定的な独裁体制を維持し続けた。
(朴正煕は暗殺されるわけだが)
北朝鮮は、金日成時代はまだしも、代を重ねるたびに国民生活は悪化する一方。
しかも、今年のミサイル騒動で、北朝鮮に輸出する石油製品、原油、出稼ぎ労働者等が
国連安保理により厳しく規制された。
現時点では北朝鮮は世界、とりわけわが国にとって大きな脅威であり
自国を滅亡させる道をひた走っている。
来年は一体どうなるのであろうか。監視を怠るべきではない。

内憂外患の真っ最中に…政争繰り広げる政治家

衆議院が解散し、小池百合子東京都知事希望の党を立ち上げ
それに民進党が合流する、しないという騒動が起こっているなか
自民党の勢いが増し、それを維新の党や共産党が追う構図となっている。
この一連の騒動に対して、ネットでは「所詮選挙のためだったのか」「安倍憎しだけでは勝てない」
など、希望の党へ不信感が巻き起こっている。


一体全体、わが国の政治家という人々はどうなってしまったのだろうか。
わが国はまさに内憂外患の様相である。
内に人口減少や中小企業の活性化、地方都市の疲弊などを抱え
外には北朝鮮の核実験、シナの覇権主義がわが国の脅威となっている。
そのような中で我が身かわいさのために、いくらでも味方を売ったり
支援者を裏切る政治家がこれほどまでに多いことに、言葉を失うほかない。
政治家の務めとは何か。
明日の日本人の生活をどうするかだ。
明日を生き抜けない日本人のために、わが国がどうしなければならないか
そのかじ取りをするのが内閣であり、それを選出するのが国会議員である。
こうしている間にも、北朝鮮はミサイルを発射場に運び出している。
民進党の議員が希望の党に公認申請を出している間
困窮した日本人が生活保護申請を出せずにいるのだ。
一体政府は何をしてきたのだろうか。
「北を滅ぼすしかない。そうでなければ皆死ぬかもしれない」
「過去最高益を出したトヨタは下請けにも金を落とさないと許さんぞ」
上記は例えだが、ここまで覚悟を示す政治家はいないのか。
安倍晋三首相は国会で「森友学園と関係があったら議員辞職する」と明言した。
国民にとってはどうでもいい約束だ。そんな下らない約束はしなくていい。
もっと国民にとって、身近で必要な約束があるはずだ。


時事通信によると、2016年の平均給与額は421万6000円で
4年連続増加していることがわかった。それ自体は良いニュースだが
飲食・宿泊業はといえばわずか234万円である。わが国はもちろん農林水産業、製造業も
基幹産業だが、サービス業も重要な役割を担っている。
たった234万円で幸せを手にできるわけがない。
この234万円を「400万円にする。それができなければ議員を辞める」こんな約束を
してくれる議員を国民は待っているのではないか。
そして現在の国会議員に果たしてそれができるのだろうか。
現在のてんやわんやを見ていると、それは絶望的である。
新しいカギは、自民党でも希望の党でも共産党でもない
まったく別の視点を持った、何のしがらみを持たない政治団体が持っているのではないか。
大体の政党は、どこかの支援を受けている。バーターに利益を誘導している。
それがない全く新しい存在の政治団体の登場、それはわが国が生まれ変わる狼煙になることを
予感させてくれるのだ。